
天安名物のホドゥクァジャ · 写真: Asfreeas / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)
天安ホドゥクァジャ:高麗時代のクルミの木の伝説と、1930年代天安駅前のお菓子
高速道路のサービスエリアや駅で袋ごと買って食べるホドゥクァジャ(クルミ菓子)のふるさとは、忠清南道・天安です。クルミの木を初めて持ち込んだという広徳寺の伝説、1934年説と1931年の新聞写真で食い違う誕生年、おいしい食べ方をまとめました。
クルミの形のお菓子に本物のクルミ入り
ホドゥクァジャは、クルミの形に彫られた型に小麦粉の生地を流し込み、あんことクルミのかけらを入れて焼いた小さなお菓子です。外は薄くてふんわり、中には甘いあんこと香ばしいクルミが一緒に入っています。一口サイズなので、紙袋や箱に入れてみんなで分けて食べるのにぴったりです。 韓国では高速道路のサービスエリアや駅でよく見かけ、旅のおやつの代名詞のように思われていますが、その元祖として知られるのが忠清南道の天安(チョナン)です。天安の人々はホドゥクァジャを地元の名物として誇りにしており、天安市はホドゥクァジャの品質を管理するため品質認証制度の導入を進めたこともあります。天安にホドゥクァジャが根付いた背景には、古いクルミの木の伝説があります。
広徳寺のクルミの木と柳清臣の伝説
天安市広徳面の寺・広徳寺(クァンドクサ)には、1998年に天然記念物に指定されたクルミの木があります。樹齢は約400年と推定され、高さは20mに達します。この木には次のような話が伝わっています。高麗の忠烈王16年にあたる1290年、元に使臣として赴いた柳清臣(ユ・チョンシン)が帰国の際にクルミの苗木と実を持ち帰り、苗木は広徳寺の境内に、実は故郷の家の庭に植えたというものです。木の前にはこの伝説を記念する「柳清臣先生クルミの木始植地」の石碑が立っています。 ただし、この話は伝説として受け止めるべきでしょう。柳清臣は帰国しておらず、天安のクルミを広めるために作られた話だという研究者の主張もあり、柳清臣より前から朝鮮半島にクルミの木があったという話もあります。人物名も資料によって「ユ・チョンシン」「リュ・チョンシン」の両方が使われています。
1934年?1931年?食い違う誕生年
ホドゥクァジャの誕生について最も広く知られているのは1934年説です。天安駅前の大興洞で製菓店を営んでいた趙貴金・沈福順夫妻が1934年、クルミを入れ、実物大のクルミの形をまねたお菓子を開発したという内容で、地域の郷土史資料「デジタル天安文化大典」にもそう記録されているそうです。 ところが、この年に疑問を投げかける資料も出てきました。ある郷土史家は、日本語新聞『朝鮮新聞』1931年9月27日付に「天安名物くるみ菓子本舗」という看板を掲げた店の写真が載っているとして、1934年が最初だという説は正しくないと主張しています。原文のさらなる確認が必要な主張ですが、少なくとも1930年代初めには天安でクルミ菓子が名物として売られていたことは、どちらの話からも分かります。
駅とサービスエリアを通じて全国へ
天安は昔から、ソウルから南へ下る道が分かれる交通の要衝でした。京釜線が通る天安駅は1930年代にも多くの旅行者が行き交う場所で、ホドゥクァジャが駅前の製菓店で生まれたという話は、こうした地理とよく合います。行き来する人々が天安を通るたびに一袋ずつ買っていったことで、ホドゥクァジャは天安を代表するおやつになりました。 今では全国どこでもホドゥクァジャを売っていますが、箱や袋に「天安」の名を入れて元祖であることをアピールすることが多いです。天安市内には何代にもわたってホドゥクァジャを焼いてきた店があり、1934年をブランドストーリーに掲げる店もあります。天安市が品質認証制度を進めたのも、名前が広く使われているだけに天安ホドゥクァジャの品質を守ろうという趣旨でした。
おいしい食べ方とどこで買うか
ホドゥクァジャは焼きたての温かいうちが一番おいしいもの。外は軽くカリッとして、中のあんこはしっとりしていて、冷めたものとはかなり味が違います。焼き機の前で型に生地を流し込み、クルミを入れて焼く様子を見られる店も多いので、天安に行ったら焼きたてを買ってすぐ食べてみてください。あんこが苦手なら、ほかの具を入れた商品を一緒に売っている店もあるので、陳列棚を見てみましょう。 お土産にするなら当日か翌日のうちに食べるのがよく、長く置くなら冷凍しておいて食べる前に温めれば、焼きたてに近い味で楽しめます。天安駅周辺や市内のあちこちにホドゥクァジャの店があり、時間があれば天安市内から車で行ける広徳寺に立ち寄って、伝説のクルミの木を見るのも一味違う旅になります。クルミは秋に実るので、秋に訪れれば実のなった姿が見られるかもしれません。