
こしあん入りのもみじ饅頭 · 写真: Ocdp / CC0 (Wikimedia Commons)
もみじ饅頭120年:宮島の紅葉のお菓子はなぜ広島土産の代名詞になったのか
広島土産と言えば真っ先に名前が挙がる、紅葉の形のお菓子・もみじ饅頭。1906年に宮島で生まれた経緯、独占しなかったことで島全体の名物になった話、1980年の漫才ブーム、焼きたてを味わうコツまでまとめました。
紅葉の形をしたカステラ饅頭
もみじ饅頭は、小麦粉・卵・砂糖・蜂蜜でつくるカステラ状の生地で餡を包み、モミジの葉をかたどった型で焼き上げたお菓子です。餡はこしあんが基本で、製法はどの製造元でもほぼ同じです。名前は宮島の紅葉の名所・紅葉谷にちなんでいます。 日本三景の一つ、宮島(厳島)の名物・土産品として始まりましたが、いまでは宮島にとどまらず広島県を代表する土産菓子として全国に知られています。「広島土産と言えば真っ先に名前が挙がる」と言われるほどです。略して「もみまん」とも呼ばれ、2025年に誕生120年を迎えました。
1906年、旅館の依頼で生まれる
もみじ饅頭を考案したのは、明治後期の宮島の和菓子職人・高津常助とされています。紅葉谷には1854年創業の老舗旅館があり、皇族や政治家、文人など名だたる客が多く泊まっていました。その旅館の女将が「ここでしか味わえないお菓子」を望み、旅館に和菓子を納めていた高津に、紅葉谷の名にふさわしい菓子を依頼したといいます。 高津は試行錯誤の末、1906年に「紅葉形焼饅頭」を完成させました。蜂蜜や卵を使ったカステラ生地にこし餡を入れた、当時としては大変ハイカラな菓子でした。1910年には商標登録もしています。もみじ饅頭の由来については著名人の冗談から生まれたという話も広く流布していますが、記録で確認されたものではなく、俗説とみる見方が多いです。
独占しなかったから島全体の名物に
もみじ饅頭が島全体の名物になったのは、高津自身の選択によるところが大きいです。当時の商標権の有効期間は20年でしたが、高津は権利を更新しませんでした。宮島の菓子組合長も務めた彼は菓子職人の育成に力を注ぎ、もみじ饅頭を自分の店だけのものにせず宮島の名物にしたいと考えていたと伝えられます。 商標権が切れた1927年以降は型さえあれば誰でも製造・販売できるようになり、戦前にはすでに島内の製造元が12軒に達していました。1934年には島を訪れた皇族が「つぶあんはないのか」と所望したのをきっかけに、つぶあんのもみじ饅頭が生まれました。1960年代までは一つ一つ手で焼き型を押さえて焼いていましたが、広島市内の業者が自動で焼く機械を開発したことで、どの店でも一定の品質で作れるようになりました。
1980年の漫才ブームと多彩な味
もみじ饅頭が全国区になった決定的なきっかけは、1980年の漫才ブームでした。人気コンビB&Bのネタで、相方が岡山名物として「きびだんご!」と言うと、広島出身のもう一人が両手でもみじの形を作りながら「もみじまんじゅう!」と返すギャグが大流行し、もみじ饅頭の名は一気に全国へ広まりました。 ブームが到来した1984年には、初の変わり種としてチーズ入りとチョコレート入りが登場しました。その後カスタードクリーム、抹茶、栗、りんごなどが次々に生まれ、餅生地のものや油で揚げた「揚げもみじ」といった変化形も登場しました。いまでは大手をはじめ約20社のメーカーが伝統の味を受け継ぎながら、新しい味を出し続けています。
焼きたての味わい方、買い方
もみじ饅頭を最もおいしく食べる方法は、宮島の商店街で焼きたてを買って食べることです。島には焼きたてのもみじ饅頭を出す店が軒を連ね、ガラス越しに機械が生地を流し込み型を回して焼く様子を見られる店も多いです。いまも職人が店頭で焼き型を使って手焼きしている店があり、手焼き体験ができる施設もあります。 チーズやチョコレート入りは、電子レンジで10〜20秒ほど軽く温めると中がとろけておいしいとされています。箱入りの土産は宮島の島内だけでなく、JRと広電の宮島口駅、広島駅ビル、市内の百貨店やメーカー直営店でも豊富に買えます。店ごとに生地の食感や甘さが少しずつ違うので、何軒かでばら売りを買って食べ比べるのも楽しいです。