
横浜のシウマイ弁当 · 写真: jetalone / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)
横浜シウマイ:冷めてもおいしく、汽車のために生まれた焼売
横浜は日本で焼売に最もお金をかける街として知られます。開港とともに生まれた中華街、1928年に駅の売店で誕生した「冷めてもおいしい」シウマイ、独特な表記のいきさつまで、横浜の焼売の物語をまとめました。
開港とともに生まれた「南京町」
横浜の焼売の物語は、1859年の横浜開港から始まります。開港後、西洋の商人と日本人のあいだで、漢字の読み書きができる中国人、とくに広東出身の人々が通訳や仲介を担い、外国人居留地の近くに彼らが住んだ場所が今の中華街の出発点になったと紹介されています。 この一帯は長く「南京町」と呼ばれ、1955年2月に建てられた初代の善隣門に「中華街」と記されたことで、今の呼び名が定着したといいます。今では約500m四方に600を超える店が集まる日本最大級のチャイナタウンで、街を歩きながら蒸したての焼売を買って食べるのが観光の定番になっています。
横浜初の焼売は1899年?
日本で初めて焼売を作って売った店としては、1899年に横浜・伊勢佐木町の中華料理店が挙げられます。ただ日本語版ウィキペディアも「とされている」と書いており、確定した事実というより広く知られた説とみるのが妥当です。 当時の南京町では、焼売が料理の前の突き出しとして出されることもあったといいます。中国北部では羊肉とネギ、南部では豚肉ともち米を使うなど、もともと地域によって具が違う料理でしたが、横浜に根づいたのは広東の点心に近い豚肉の焼売でした。それがのちに横浜を代表するおみやげになるとは、当時は誰も思わなかったでしょう。
1928年、駅の売店が生んだ「冷めてもおいしい」シウマイ
横浜の焼売を全国に広めたのは汽車でした。1908年に横浜駅構内の売店として始まったある会社が「横浜ならではの名物」を作ろうと、南京町で突き出しとして出されていた焼売に注目し、中華街の点心職人とともに研究を重ねたといいます。横浜市西区の公式ページによると、こうして1928年に「名物シウマイ」が誕生しました。 ポイントは、駅で売って車内で食べること。温め直さず冷めたまま食べてもおいしいよう、豚肉に干し帆立貝柱を加えてうまみを足し、ひと口サイズに小さく仕上げました。1950年には駅のホームでシウマイを売る「シウマイ娘」が登場して話題にもなりました。
「シューマイ」ではなく「シウマイ」の理由と横浜の焼売愛
焼売は一般に「シューマイ」と書きますが、横浜の駅弁を代表する商品は「シウマイ」と表記します。この表記には面白い逸話が伝わっています。その会社の初代社長が栃木県出身で「シュー」の発音がうまくできず「シウ」と言ったことが、そのまま商品名になったというものです。会社に伝わる話なので、気軽に楽しめばいいでしょう。 横浜の人々の焼売好きは数字にも表れています。総務省の家計調査(2015〜2017年)をもとにした集計で、焼売への支出額が最も多いのは、都道府県庁所在市・政令指定都市のなかで横浜市でした。行事や来客、帰省のおみやげに焼売を買っていく文化が根づいた街です。
横浜で焼売を楽しむ二つの方法
一つ目は、中華街で蒸したての焼売を食べる方法。店先の蒸籠から湯気の立つ焼売を数個ずつ買って食べ歩きができ、店に入れば海老焼売のような広東式の点心も選べます。からしと醤油を添えるのが日本式の基本です。 二つ目は、横浜駅や新横浜駅などで売っているシウマイ弁当や箱入りのシウマイを買い、新幹線や列車の中で冷めたまま食べる方法。1928年に最初から「冷めてもおいしく」設計された味なので、温めなくてもおいしさが生きています。両方味わえば、横浜の焼売がたどってきた道が口の中でつながります。なお、加熱済みの食品でも、帰国時の持ち込みルールは事前に確認しておきましょう。