歴史
勝沼のぶどう畑 · 写真: genta_hgr / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

勝沼のぶどう畑 · 写真: genta_hgr / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

日本河口湖

甲州ぶどうと山梨ワイン:日本ワインのふるさとの物語

富士山のある山梨県は、ワイナリーの数も日本ワインの生産量も日本一のワイン王国です。日本固有品種・甲州ぶどうの伝説とDNAの話、明治にフランスへ渡った二人の青年、旅行者の楽しみ方までまとめました。

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日本最古の栽培品種・甲州

甲州は主に山梨県で栽培される日本固有のぶどう品種で、皮が薄い赤紫色をしています。山梨県は甲州を「日本最古の栽培ぶどう品種」と紹介しており、生食にもされ、さわやかな白ワインの原料にもなります。 起源については二つの伝説が伝わっています。一つは1186年(文治2年)、上岩崎村の雨宮勘解由が山道で見慣れないつる草を見つけて持ち帰り、植えたところ5年後に実がなったという話。もう一つは奈良時代の僧・行基が大善寺を建立した際にぶどうの木を見つけたという話です。江戸時代初期には、医師の永田徳本が今のようなぶどう棚による栽培法を考え出したといわれます。

DNAが明かした甲州の正体

長いあいだ謎だった甲州のルーツは、DNA分析で少しずつ明らかになってきました。2004年の分析で欧州系ぶどう(ヴィティス・ヴィニフェラ)の交配品種であることがわかり、2013年の酒類総合研究所の解析では、欧州種と中国の野生ぶどう(ヴィティス・ダヴィーディ)の交雑種がさらに欧州種と交配した品種である可能性が高いという結果が出ました。 つまり、シルクロードを通ってユーラシアを渡ってきたぶどうが長い時間をかけて日本に根づいた可能性を示しています。2010年6月には日本固有のぶどうとして初めて国際ぶどう・ぶどう酒機構(OIV)に品種登録され、これによってEUへ「Koshu」の品種表示でワインを輸出できるようになりました。

明治時代、フランスへ渡った二人の青年

山梨県によると、県内でワインの生産が始まったのは1870年(明治3年)ごろで、甲府の山田宥教と詫間憲久の二人が山ぶどうや甲州ぶどうでワインを造りました。続いて1877年(明治10年)には、地元の有志が設立した民間のワイン会社が、高野正誠と土屋龍憲の二人の青年をフランスへ派遣し、ぶどう栽培と醸造技術を学ばせました。 二人はその年の10月にフランス船で横浜港を出航し、パリでフランス語を学んだあと、シャンパーニュ地方の町トロワで技術を習得したといいます。しかし帰国後に造ったフランス式ワインの渋みは当時の日本人の好みとあまりに違い、会社は1886年に廃業しました。それでも二人がまいた種は、今日の山梨ワイン産業の出発点として記憶されています。

今日の山梨ワイン:約90のワイナリー

山梨県の公式資料によると、県内のワイナリーは明治創業の老舗から最近できた小さなドメーヌまで約90社と日本一で、日本ワイン(国産ぶどうを使って国内で造ったワイン)の生産量も全国の約3割を占めて日本一です。 代表品種は二つ。白ワイン用の「甲州」は酸味が穏やかで柑橘系の繊細な香りが特徴で、和食と合わせやすいといわれます。赤ワイン用の「マスカット・ベーリーA」は川上善兵衛が育成した日本の品種で、甘い香りと軽いタンニンが特徴です。厳しい基準を満たしたワインだけが地理的表示「山梨(GI Yamanashi)」を名乗れるので、ラベルでこの表示を探してみるのもいいでしょう。

河口湖の旅行者の楽しみ方

山梨ワインの中心地は甲府盆地東部の勝沼一帯で、ぶどう畑とワイナリーが集まっています。河口湖から日帰りで行くなら移動時間に余裕をみる必要があるので、時間が足りなければ、河口湖周辺のおみやげ店や飲食店、宿で山梨ワインを味わうだけでも十分楽しめます。ほうとうのような郷土料理と甲州ワインを合わせるのもいい組み合わせです。 ぶどうは晩夏から秋が旬で、この時期にはぶどう狩りができる農園も多くあります。ワイナリーで試飲するつもりなら、レンタカーの運転は絶対にやめましょう。日本は飲酒運転の基準がとても厳しいので、公共交通機関やツアーを利用してください。ワインをおみやげにするときは、各国の免税範囲と持ち込みルールを事前に確認しましょう。

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