
卵をつけて焼いた束草のイカスンデとアバイスンデ · 写真: 태오 윤 / CC BY 3.0 (Wikimedia Commons)
束草のアバイスンデとイカスンデ:咸鏡道の避難民が砂州の村で守ってきた故郷の味
束草・青湖洞のアバイ村は、朝鮮戦争のときに南へ逃れてきた咸鏡道の人々が青草湖の砂州に築いた町です。アバイスンデとイカスンデの成り立ち、おいしい食べ方、手で綱を引く渡し船「ケッペ」での行き方までまとめました。
砂州の上に生まれた避難民の村
束草の青湖洞は、海と青草湖のあいだに細長く延びた砂州の上の町です。朝鮮戦争の「1・4後退」の前後、咸鏡道の人々が船で南へ逃れてこの砂州に住みつき、1951年に韓国軍とともに南下した咸鏡道出身者が集団で定着したのが村の始まりとされています。海洋民俗学者チュ・ガンヒョンの文章によると、戦後束草に入った避難民は5万人にのぼり、そのうち約7割を咸鏡南道の人々が占め、村の中には端川・新浦のように故郷の名で呼ばれる集まりがあったといいます。 「アバイ」は咸鏡道の言葉で父、あるいは祖父くらいの年配の男性を親しみをこめて呼ぶ言葉で、資料によって説明が少し異なります。避難民が大勢移り住んだことで、束草は東海岸の漁業の町へと発展していったと伝えられています。
アバイスンデ:咸鏡道式の大きなスンデ
アバイスンデは避難民が故郷のやり方で作ってきたスンデで、細い小腸ではなく太い豚の大腸を使うのが一番の特徴とされています。中にはもち米と血、緑豆もやしなどの野菜をたっぷり詰めて蒸すので、一切れが分厚く、春雨中心の屋台のスンデとは歯ごたえがかなり違います。 アバイ村の路地には咸鏡道料理の店が集まっていて、アバイスンデと並んでカレイシッケ(カジャミシケ)や咸興冷麺の看板をよく見かけます。カジャミシケは発酵させたカレイに穀物と大根、唐辛子を和えた咸鏡道式の発酵食品で、チュ・ガンヒョンの取材に応じた村の年配者は「ここでは粟ではなく白米を使う」と話していました。スンデを頼むとこうした咸鏡道のおかずが添えられることが多いので、一緒に味わうと村の食の系譜がよく見えます。
イカスンデはどう生まれたのか
いま束草でより有名なのはイカスンデ(オジンオスンデ)です。内臓を抜いたイカの胴に、もち米、豆腐、野菜、ひき肉などを混ぜた具を詰めて蒸したもので、かつてイカがたくさん揚がった東海岸の港らしい料理です。 由来は資料によって異なります。青湖洞に住みついた避難民が、故郷のスンデを海辺で身近なイカで作り直したものだという説。もう一つは、不漁の時期に漁師たちが山菜や味噌などをイカに詰めて食べていた料理が出発点だという説です。いずれにしても海辺の食材と咸鏡道のスンデ文化が出会って生まれた料理であることは同じで、束草ではアバイスンデとイカスンデを一皿に盛り合わせて出す店も多くあります。
食べ方と注文のコツ
イカスンデは輪切りをそのまま食べることもありますが、束草では溶き卵をくぐらせてフライパンでこんがり焼く食べ方が特によく知られています。外は香ばしく中のもち米はもっちりしていて、酢醤油やアミの塩辛、ヤンニョムだれにつけるとよく合います。アバイスンデは蒸したものを切ってそのまま出すことが多く、スンデクッ(スープ)でも味わえます。 初めてなら、二種類を盛り合わせたメニューを選ぶと食べ比べができます。量がかなり多いので、二人なら盛り合わせ一つに冷麺かスンデクッを一つ添えるくらいがちょうどいいでしょう。持ち帰る人も多く、家で温めるときは溶き卵をつけて焼き直すと店の味に近くなります。店ごとに具や味付けが少しずつ違うので、何軒か比べてみるのも楽しみです。
どこで食べる?ケッペに乗ってアバイ村へ
スンデの店が一番多く集まっているのは青湖洞アバイ村の路地で、束草市内の観光水産市場周辺でもイカスンデは簡単に見つかります。アバイ村へ行くなら、市内側からケッペ(渡し船)に乗ってみてください。ケッペは狭い水路の両岸に張った綱を、人が鉤で引っかけて引っぱって進む船で、島のように離れていた村の昔からの交通手段でした。いまは橋が架かっていますが、ケッペは今も運航していて料金はわずかです。 村は1990年代から知られるようになり、2000年のドラマ『秋の童話』のロケ地になって観光名所になりました。避難民の一世はほとんどが亡くなりましたが、村は今も分断の記憶を抱く場所として残っています。スンデを一皿食べながらこの町の成り立ちを思い浮かべると、味が少し違って感じられるはずです。