歴史
市場に並ぶアミの塩辛などさまざまな塩辛 · 写真: hwayoungjung / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commons)

市場に並ぶアミの塩辛などさまざまな塩辛 · 写真: hwayoungjung / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commons)

韓国全羅北道 · 扶安

扶安・コムソの塩辛:三つの島を結んだ堤防と天日塩が生んだ塩辛の町

辺山半島の南にあるコムソ港は、江景・広川と並ぶ韓国三大塩辛(チョッカル)市場に数えられます。三つの島を堤防で結んで生まれた港と塩田、しょっぱすぎないといわれるコムソの塩辛の秘密、何を買いどう食べるかをまとめました。

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韓国三大塩辛市場のひとつ、コムソ

塩辛(チョッカル)は、魚や貝、エビなど海産物の身や内臓に塩を加えて熟成させた韓国の発酵食品です。キムチにうま味を加える材料であり、それ自体がご飯が止まらなくなるおかずでもあります。 全羅北道扶安郡鎮西面のコムソ港は、忠清南道の江景、広川と並んで韓国三大塩辛市場に数えられます。港を中心に塩辛店や加工場が集まる大きな団地があり、年間7千トンを超える塩辛を作っているといいます。1970年代初めには3、4軒だった塩辛店が今では60軒ほどに増えたという報道もあります。コムソ港は群山、格浦に次ぐ全北で3番目に大きな漁港でもあります。

三つの島を結んだ堤防から始まった町

コムソはもともと島でした。日本統治時代の末期、蓮洞からコムソ、鵲島へと続く三つの島を堤防で結ぶ工事が行われ、コムソは船の出入りする港になりました。堤防の内側、蓮洞とコムソの間の干拓地は塩田になりました。コムソ港は収奪のために造られたという説明もあり、町の出発点には痛ましい歴史も絡んでいます。 扶安の蝟島沖にある七山漁場は、1970年代までイシモチの海上市場(波市)で有名でした。イシモチ漁の船をはじめ漁船がコムソ港に集まり、ここは水産物の集散地となりました。あふれる魚とすぐ隣の塩田の塩が出会って、塩辛の町が育っていったのです。

おいしさの秘密はコムソ塩田の天日塩

コムソの塩辛を語るうえで欠かせないのが、すぐ隣のコムソ塩田です。日本統治時代には薪の火で海水を煮詰める煮塩を作っており、解放直後に日差しと風で乾かす天日塩田へと変わりました。1946年に建てられた塩倉庫が今も残り、碁盤の目のように区切られた塩田から年間約2千トンの塩がとれます。 塩が最も多くとれる5月中旬には、内辺山から風に乗って飛んできた松の花粉が塩の結晶に降り積もります。そのためコムソの塩は「松花粉の塩」とも呼ばれます。塩辛も1940年代初め、この塩田ができてその天日塩で漬け始めたのが始まりと伝えられます。コムソの塩辛が「しょっぱくなく甘い」と評されるのもこの塩のおかげだという話がよく聞かれます。

何を買う? キグチの塩辛からタチウオの内臓の塩辛まで

コムソでは、アミの塩辛、イワシの魚醤、明太子、イカの塩辛、アサリの塩辛、貝の塩辛など、たくさんの塩辛を一か所で見られます。なかでも全羅道の人々が好んで食べる塩辛を味わうのが、いかにもコムソらしい体験です。 代表的なのが黄石魚(ファンソゴ)の塩辛です。ニベ科のキグチの仲間で作り、全羅道では「ファンセギ」と呼びます。タチウオは捨てるところがなく、内臓からはうま味の濃いカルチソクジョッを、身からはカルチジョッを作ります。コノシロの内臓で漬けるトンベジョッ(チョノバムジョッ)も全羅道の人が挙げる珍味です。試食を勧める店が多いので、いくつか味見してから選びましょう。夏はクーラーボックスを用意するか宅配を使うと安心です。

コムソ流の食べ方と秋の祭り

塩辛をいちばん手軽に楽しむなら、ご飯と一緒に。食欲のないときでも、炊きたての白いご飯に塩辛をひとさじのせて混ぜれば、ほかのおかずはいらないと言われるほどで、塩辛は「ご飯泥棒」の代表格とされています。 港の周りには、何種類もの塩辛をおかずに出す塩辛定食や、タチウオの子(プルチ)を使った定食を出す食堂があります。プルチという名は、細長い草の葉に似ていることから付いたそうです。コムソ塩辛センターには展示場や体験場があり、桑の実・桑の葉・アッケシソウを入れた塩作りなどの体験が行われたこともあります。秋にはコムソ塩辛発酵祭りが開かれ、塩辛を使ったキムチ漬けや塩辛の割引販売などが行われます。日程は毎年変わるので事前に確認しましょう。

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