
乙支路ノガリ横丁
乙支路ノガリ横丁:印刷街の生ビールと干しスケトウダラがソウル未来遺産になるまで
日が暮れると乙支路3街の細い路地にプラスチックの椅子が並び、生ビールと焼いたノガリ(干したスケトウダラの幼魚)が行き交います。1980年の生ビール店一軒から始まった横丁がソウルの夜の風景になった経緯と、行く前に知っておきたいことをまとめました。
印刷所街のど真ん中にできたビール横丁
ノガリ横丁はソウル地下鉄2・3号線の乙支路3街駅4番出口近くの路地にあります。乙支路一帯は長いあいだ印刷所や工具・照明の店がひしめく職人街で、観光案内によると、かつては国内最大の印刷街でした。締め切りに合わせて夜遅くまで働いた印刷工たちが帰り道にノガリをつまみに生ビールを飲んで一日の疲れをほぐし、その客を追うようにビール店が一軒、二軒と増えて、ノガリと生ビールの横丁になったと紹介されています。 この横丁の風景が完成するのは平日の夕方。昼間はシャッターの下りた普通の路地ですが、退勤時間を過ぎると店の前の道までテーブルが並び、人でぎっしりになります。そのため「韓国のオクトーバーフェスト」と呼ばれることもあります。
1980年、一軒の生ビール店から
横丁の出発点は、1980年に開店した一軒の生ビール店とされています。あるビール会社のソウルのチェーン店として開業しましたが、開店時期は資料によって1980年11月とも12月とも書かれています。当時、庶民が飲むのは主に焼酎やマッコリで、生ビールはなじみの薄い酒だったため、最初は商売が楽ではなかったそうです。 週刊京郷の報道によると、1981年にビール会社が店につまみを供給することが公正取引上違法と判断され、創業者が安く出せるつまみとして選んだのがノガリでした。1匹100ウォンで売れる安いつまみと冷たい生ビールの組み合わせが印刷街の人々に受け、周りに似たビール店が次々とでき、今の横丁ができあがりました。ソウル市のメディアは、それより前の1970年代半ばに酒類卸の倉庫でビールを安く売っていたことを始まりとして紹介することもあります。
ノガリってどんな魚?
ノガリはスケトウダラ(ミョンテ)の幼魚を指す言葉で、つまみには普通、これを半乾きに干したものを使います。スケトウダラは1940年代には東海で何十万トンも獲れる韓国で最もありふれた魚でしたが、幼いノガリまで獲りすぎた乱獲と海水温の変化が重なり、今はほとんどを輸入に頼っています。横丁で食べるノガリも大半は輸入ものと考えてよいでしょう。 スケトウダラは状態によって名前が変わる魚としても有名です。凍らせるとトンテ、半分干すとコダリ、白く干すとペクテ、そして幼魚がノガリ。横丁の紹介によると、初期は練炭の火でノガリを焼き、コチュジャンを添えて出していました。今は焼き方や添えるタレが店ごとに少しずつ違います。
ソウル未来遺産になった横丁と、その変化
ソウル市は2015年、ノガリ横丁を「ソウル未来遺産」に指定しました。市民が共に作り、次の世代に伝えるべき共通の記憶や感性をもつ場所を選ぶ制度です。2017〜2018年頃にはレトロブームと重なって若者が押し寄せ、乙支路を「ヒップジロ」と呼ぶ言葉も生まれました。 長年の象徴だったノガリの値段も変わりました。週刊京郷の報道では、横丁のビール店はノガリ1匹を約20年間1000ウォンで売っていましたが、2021年5月に1500ウォンへ値上げし、それでも原価に届かないと話しています。同じ頃、横丁最初の店が家主との賃貸借紛争で強制執行の危機に直面するなど、古い横丁が再開発や家賃の問題と無縁ではいられない姿も見えました。店の顔ぶれは年々少しずつ変わるので、訪問前に最新の状況を確かめるのがおすすめです。
行く前に知っておきたいこと
ノガリ横丁は夜の商売が中心なので、昼に行くと開いている店がほとんどないこともあります。営業時間や定休日は店ごとに違い、駐車場もないので地下鉄で行くのが便利です。平日の退勤直後や天気のよい金曜の夜はすぐに席が埋まるので、少し早めか遅めに行くと座りやすいです。 注文は生ビールとノガリから始めるのが基本。最近はノガリのほかにチキンやチゲ、揚げ物などのつまみを出す店も多く、食事を兼ねても大丈夫です。路上のテーブルは狭く人通りも多いので、荷物は少なめに。周りの乙支路の印刷所街や古い工具商街も一緒に歩いてみると、この横丁が生まれた理由がぐっと実感できます。