歴史
種がぎっしり詰まった釜山のシアッホットク · 写真: Tmannya / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)

種がぎっしり詰まった釜山のシアッホットク · 写真: Tmannya / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)

韓国釜山

釜山のシアッホットク:華僑のホットクが避難の都と南浦洞を経てナッツたっぷりの釜山おやつになるまで

南浦洞のBIFF広場では、油で揚げるように焼いたホットクを半分に切り、ヒマワリやカボチャの種をぎっしり詰めてくれる屋台に行列ができます。ホットクが韓国に入ってきた経緯から、シアッホットクが釜山で生まれた話、やけどしない食べ方まで紹介します。

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ホットクはどうやって韓国に来たのか

ホットクの「ホ(胡)」は、昔から中国北方の人を指した字です。韓国民族文化大百科事典によると、ホットクがいつ伝わったかははっきりしませんが、1882年の壬午軍乱の収拾過程で結ばれた朝清商民水陸貿易章程をきっかけに、清の華僑商人が入ってきた際に一緒に伝わったと推定されています。 安くて傷みにくいため、日本統治時代にはソウル鍾路の中国人の人力車夫がよく食べていたそうです。はじめは中国風の焼き餅に近いものでしたが、韓国で蜂蜜や水あめ、砂糖を入れて甘くする方法に変わり、今のような甘いホットクになりました。冬の路上で黒糖シロップがとろりとあふれるホットクは、こうして長い時間をかけて韓国のおやつになったのです。

避難の都・釜山と「種」

シアッ(種)ホットクの物語は朝鮮戦争の頃の釜山につながっています。百科事典の説明によると、戦争中に釜山へ集まった避難民はさまざまな穀物の種を入れてホットクを作って食べ、休戦前後にアメリカの小麦粉援助が入ってくると、小麦粉の生地で作るホットクがより広まりました。 釜山は戦時中に臨時首都の役割を担い、全国から来た人々であふれていたため、安くてお腹にたまる屋台の食べ物が必要でした。油で焼く小麦粉のおやつはそんな時代によく合っていました。種を入れる発想が最初から今の形だったわけではありませんが、穀物や種を惜しまず入れて腹持ちよく食べた記憶が、今日のシアッホットクの土台になったといえるでしょう。

南浦洞で生まれたシアッホットク

今の形のシアッホットクがいつ生まれたかは資料によって異なります。韓国民族文化大百科事典は1980年代に釜山・南浦洞の通りで始まったと伝え、別の資料には2005年頃に屋台でシアッホットクや緑茶ホットクのような新しいホットクが登場したという話もあります。前者は始まった時期、後者は広まった時期を指しているのかもしれず、「資料によって違う」と覚えておけば十分です。 いずれにせよ舞台は南浦洞。1996年に第1回釜山国際映画祭が開かれた映画館街一帯はBIFF広場と呼ばれるようになり、映画館と屋台が並ぶ通りになりました。シアッホットクはこの通りの名物おやつとして知られた後、海雲台などの観光地へ広がり、今では釜山を代表するご当地おやつに数えられています。

普通のホットクとの違い

普通のホットクは生地に黒砂糖とシナモンを包み、鉄板で押しつけて焼きます。シアッホットクは作る順番から違います。百科事典の説明では、窯で焼かずに油をたっぷりひいたホットク用の鉄板で生地を押して揚げるように焼き、真ん中を切ってピーナッツやヒマワリの種、カボチャの種などのナッツ類をたっぷり詰めます。 細かく砕いたナッツは単なるトッピングではありません。中で溶けた砂糖液を吸って、流れ出ないように受け止める役目もしています。だから一口かじると、カリッとした表面、もちもちの生地、甘いシロップ、香ばしい種の食感が一度に広がります。昔は鉄板に油を薄くひいて焼いていましたが、今はたっぷりの油で揚げる方法が一般的だそうです。

食べ方のコツとどこで食べるか

シアッホットクはたいてい紙コップや折った紙に入れて渡されます。揚げたての中の砂糖シロップはとても熱いので、受け取ってすぐ真ん中にかぶりつくより、端から少しずつ食べるのが安全です。シロップが手や服に垂れやすいので、コップで受けながら食べましょう。 元祖として知られる屋台は中区南浦洞のBIFF広場通りに集まっていて、主に午後から夕方にかけて賑わいます。国際市場やチャガルチ市場と歩いてつながる通りなので、市場めぐりの途中のおやつにぴったりです。南浦洞以外にも海雲台などの観光地や市場で手軽に見つかります。百科事典は特に、冬の釜山の海を眺めながら食べるシアッホットクをこの土地の味として挙げています。

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