
釜山・海雲台市場のコムジャンオ焼き · 写真: Junho Jung (Flickr) / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)
釜山のコムジャンオ焼き:皮革工場で捨てられた身がチャガルチの練炭焼きと機張の藁焼きの名物になるまで
釜山・チャガルチ市場の海沿いには、練炭の火でコムジャンオ(ヌタウナギ)を焼く屋台風の食堂が並びます。標準語でモクチャンオと呼ばれるこの魚がなぜ釜山名物になったのか、ヤンニョム焼きと塩焼き、機張の藁焼きの違いを紹介します。
コムジャンオ、ゴムジャンオ、モクチャンオは同じ魚
釜山の人がコムジャンオ、ゴムジャンオと呼ぶ魚の標準語名はモクチャンオ(ヌタウナギ)です。毎日新聞(韓国)の記事によると、体を「コムジラク」「コムジラク」とくねらせる様子からこの名がついたそうです。名前に「ウナギ」とありますがウナギやアナゴとは縁遠い原始的な海の生き物で、目が退化しているのが特徴です。 記事では、国産は赤銅色を帯び背中の白い線がはっきりしていて、輸入ものはもっと黒っぽいと説明しています。面白いのは、日本ではヌタウナギをほとんど食べないため、日本近海で獲れたものの多くが釜山に入ってくること。釜山と下関を結ぶ船で運ばれるという話もあります。つまり「ヌタウナギを焼いて食べる文化」そのものが、釜山を中心に生まれたといえます。
皮は日本へ、身は釜山の人の口へ
京郷新聞は、韓国人がヌタウナギを本格的に食べ始めたのは近代以降だと推定しています。ウナギやハモと違い、昔の文献にはほとんど記録がないからです。日本統治時代、日本人はその柔らかく丈夫な皮を下駄の鼻緒や帽子の縁の材料に使い、釜山・光復洞一帯の皮革工場では皮だけをはいで、身は捨てるか二束三文で売っていました。 朝鮮人がその身を買って空腹をしのぐために焼いて食べたのが、チャガルチ市場を中心としたコムジャンオ焼きの始まりと伝えられています。世界日報のコラムは、1936年の慶尚南道水産試験場の報告に、釜山や蔚山近くの大衆食堂でヌタウナギ料理を出していたという記録があると紹介しています。毎日新聞によると、ヌタウナギの皮は牛革より丈夫で、1970年代まで輸出の稼ぎ頭でもありました。
避難民がつくったチャガルチのコムジャンオ横丁
コムジャンオ焼きが釜山の代表料理になったきっかけは朝鮮戦争です。解放後、朝鮮戦争前後に避難民がチャガルチ市場の周りに住みつくと、皮革工場で捨てられていたヌタウナギを焼いて売る露店が一つ二つと生まれました。皮革工場と焼き屋が同じ町内に並んだわけです。こうした露店が増えて、今のチャガルチのコムジャンオ横丁になったと紹介されています。 捨てられていた魚が、今ではウナギより大事にされるといわれるほど立場も変わりました。毎日新聞によると、1970年代以降、コムジャンオ焼きの文化は釜山全域や大邱などへ広がりました。いまほかの都市でもコムジャンオの店を見かけるのは、釜山で生まれた料理が広がっていった結果です。
チャガルチの練炭焼きと機張の藁焼き
釜山のコムジャンオ焼きは、焼く火によって大きく二つに分かれます。一つはチャガルチ市場式の練炭焼き。毎日新聞は、チャガルチ市場の海沿いに屋台風のコムジャンオ食堂が130軒ほど集まり、主に練炭の火を使うと伝えています。辛いヤンニョムをからめて焼くヤンニョム焼きと塩だけで焼く塩焼きがあり、一皿に両方を半分ずつ盛るメニューもよくあります。 もう一つは釜山東部・機張郡の藁焼きゴムジャンオです。皮ごと稲わらの火で真っ黒に焼き、焦げた皮をむいて中の身を食べます。記事によると、稲わらは炎が勢いよく上がってすぐ落ち着くのでヌタウナギを焼くのにちょうどよく、松や樫は火力が強すぎるそうです。この方法も戦時中に避難民が藁の火で焼いて食べたことから始まったと伝えられ、機張の公需(コンス)村一帯に専門店が集まっています。
注文のコツと楽しみ方
初めてならヤンニョム焼きと塩焼きを半分ずつ頼んで食べ比べるのがおすすめです。塩焼きはコリコリした歯ごたえとあっさりした味がよくわかり、ヤンニョム焼きは甘辛いタレがしみてお酒のつまみにぴったり。ヌタウナギは火の上で身を縮めながら焼けていき、表面がこんがりして張りが出たら食べごろです。焼きすぎると硬くなるので、ほどよいところで引き上げましょう。 チャガルチ市場の海沿いの店は海を眺めながら食べられる席が多く、雰囲気も楽しみの一つです。藁焼きを味わいたいなら機張まで足をのばす必要があり、海雲台から車で移動するのが一般的です。値段は相場や産地によって変わるので、メニューの原産地表示を一度確認しておくとよいでしょう。