
韓山素穀酒
韓山素穀酒:「立てなくなる酒」と呼ばれる百済の酒
忠清南道舒川郡の韓山面で醸される素穀酒(ソゴクチュ)は、百済の時代から続くと伝わるもち米の酒です。百済の遺民の伝説、朝鮮時代の料理書に残る醸し方、一度座ると立てなくなる「アンジュンベンイ酒」の話、日本統治期や糧穀管理法の時代を乗り越えた経緯、韓山での楽しみ方をまとめました。
百済の遺民が醸したという酒
韓山素穀酒(ハンサン・ソゴクチュ)は、忠清南道舒川郡の韓山面で醸される伝統酒です。百済の宮廷の酒で、国が滅びたあと遺民たちが悲しみを紛らわすために醸して飲んだという話が伝わっています。2001年のソウル新聞は、百済復興運動の拠点だった韓山の周留城近くの住民が、亡国の恨みを慰めながら醸したと紹介しました。マネートゥデイは、遺民たちが白い喪服姿で酒を醸したことから「白い素」と「麹(こうじ)」を合わせて素穀酒と呼んだという説と、麹を少なく使うので「小」の字を当てるという解釈を併せて伝えています。 ただ、こうした話は記録というより地域の言い伝えに近いものです。確かなのは、韓山の人々がこの酒を「百済の酒」と考え、長く醸し続けてきたことです。
朝鮮時代の料理書に残る醸し方
素穀酒が文献にはっきり現れるのは朝鮮時代です。『東国歳時記』『閨閤叢書』『是議全書』などの書物に醸し方が載っているとされます。 2001年のソウル新聞が紹介した韓山のやり方はこうです。6月に収穫した小麦で麹を作って秋まで日陰で寝かせ、うるち米ともち米を2対8で使い、野菊・大豆・麦芽も加えます。100日ほどたって酒がたまったら、竹で編んだ筒「ヨンス」を差し込んで澄んだ酒をすくい取ります。2004年の記事は生姜と赤唐辛子も入れると書いています。一方で、もち米・麹・水だけで醸すと説明する資料もあり、家や醸造所ごとに秘伝が少しずつ違うと考えるのがよさそうです。造り手自身も「同じ酒でも醸す人によって味が違う」と話しています。
「アンジュンベンイ酒」というあだ名
素穀酒のあだ名は「アンジュンベンイ酒」、つまり「立てなくなる酒」です。酒がうまく熟したかを確かめようと、嫁が箸の先につけて味見をしているうちに酔ってしまい、立ち上がれずに座ったまま這い回ったことから付いた名だと伝わります。 2004年のソウル新聞は、初めて飲む人がやわらかな甘さに度数が低いと思い込み、飲みすぎやすいと指摘しています。水を半分ほどしか使わないので18度と薬酒にしては高めで、酵母が糖分を半分ほどしか使わないため、残った糖が甘みになるという説明です。野菊が奥深い香りを添えるとも書いています。当時は18度の薬酒と、それを蒸留した43度の焼酎の2種類がありました。いまの製品は醸造所ごとに度数が違うので、瓶の表示を確かめ、甘さにだまされずゆっくり飲みましょう。
禁止の中で守り抜いた家の酒
素穀酒が今日まで続くまでには、多くの危機がありました。マネートゥデイによると、1916年に朝鮮総督府が酒税令を施行し、免許なしに家で醸す酒まで密造酒として取り締まりました。1965年には糧穀管理法で米を使った酒造りが禁止されます。それでも韓山面では各家がひそかに醸し、味を守ったと伝えられています。 1979年7月、韓山素穀酒は忠清南道無形文化財第3号に指定されました。2001年のソウル新聞によると、このとき技能保有者に指定された金栄慎さんが1997年に亡くなったあと、嫁の禹喜烈さんが技を受け継ぎ、禹さんは1999年に食品名人に選ばれました。マネートゥデイは、いま舒川郡に素穀酒の醸造所が70か所あると伝えています。小さな面(村)にこれだけ醸造所が集まっていること自体が見どころです。
韓山で素穀酒を楽しむ
素穀酒をしっかり楽しむなら、韓山面を訪ねてみましょう。舒川郡は2015年から毎年「韓山素穀酒祭り」を開いていて、いくつもの醸造所の酒を飲み比べるのにぴったりです。日程は毎年変わるので、舒川郡の案内を確認してください。マネートゥデイによると「2025忠南酒TOP10」に韓山素穀酒が4種選ばれるほど、品質競争も盛んです。 韓山面は韓山モシ(からむし織)でも知られ、モシ館の見学と酒めぐりを一緒に楽しめます。2004年のソウル新聞は、モシ館の隣の特産品売り場で試飲や購入ができると紹介していましたが、現在の運営は事前に確かめておくと安心です。 ただし、あだ名を忘れないでください。運転する予定なら試飲は同行者に譲り、おみやげに一本持ち帰るのが賢明です。