
抱川イドンカルビ · 写真: star5112 / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commons)
抱川イドンカルビ:兵士と面会客、登山客が育てた山あいのカルビ村
京畿道北部・抱川の二東面には、カルビ店がずらりと並ぶカルビ村があります。軍の兵士や面会に来た家族に安く山盛りで出していた牛カルビが、どうして全国区の名物になったのか。爪楊枝で留めた独特の形、醤油ベースのタレ、トンチミ麺で締める食べ方までまとめました。
二東面という地名から生まれた名前
イドンカルビの「イドン」は「移動」という意味ではなく、京畿道抱川市の北部にある二東面(イドンミョン)という地名です。二東面は国望峰や白雲渓谷に近く、山井湖や鳴声山も遠くない山あいの町。同時に、周辺に軍の部隊が多い境界地域でもあります。 この組み合わせがイドンカルビの性格をつくりました。週末になると、息子に面会しに来た家族、外出してきた兵士、渓谷や山を訪れる行楽客が一度に押し寄せる場所だったのです。今も二東面の長岩里一帯には数十軒のカルビ店が集まり「カルビ村」になっていると紹介されています。イドンカルビは特定の店のメニューというより、町全体が生み出した料理と考えたほうがよさそうです。
いつ始まったのか:資料によって違う
イドンカルビがいつ生まれたのかは、資料によって異なります。ある食品メディアは、1950年代後半に二東面一帯の兵士や面会客に安く山盛りの肉を出していた食堂が始まりだと説明しています。2020年のある新聞記事は、1960年代後半に長岩里で一人のおばあさんがカルビとクッパを売って開いた食堂を二東面のカルビ店の出発点として紹介し、懐の寂しい兵士たちにカルビ10本をたっぷり出したと伝えています。 一方、全北日報に載ったコラムは、1980年代初めに二東面の小さな精肉食堂4軒が味で評判になったのが始まりだと書いています。共通点もあります。兵士と面会客が常連だったこと、そして1980年代に登山客の口コミで全国に名が広まったことです。
爪楊枝を刺したチョッカルビ
イドンカルビが運ばれてくると、まず骨ごとに刺さった爪楊枝が目に入ります。記事によると、切り込みを入れて広げたカルビの身を爪楊枝で留めて出すスタイルだそうです。骨を短く切った「チョッカルビ」を何本も集めて1人前にするのも特徴とされています。 1人前の量は時代や資料によって違います。かつては「10本で1人前」として知られ、1人前の値段がソウルのサムギョプサルと同じくらいだったという回想もあります。2020年の記事では1人前を5〜6本ほどと紹介しています。いずれにしてもポイントは「安くてたっぷり」。懐の寂しい兵士や家族に満腹になってもらおうとした工夫が、今はイドンカルビならではの形として残ったと言われます。
水原カルビとの違い
京畿道にはカルビで有名な町が二つあります。南の水原カルビと北のイドンカルビです。メディアは両者の違いをタレに見ています。水原カルビは塩で味付けするスタイルで知られるのに対し、イドンカルビは醤油と水飴をベースにした甘いタレを使い、肉がしっとりしているのが特徴だと説明しています。果物をたっぷり入れたタレと、クヌギ炭の香りを特徴に挙げる記事もあります。 とはいえ、味付けカルビだけではありません。タレなしでクヌギ炭で焼く生カルビと、店ごとに秘伝が違う味付けカルビの2種類を出す店が多いそうです。肉を柔らかくする方法も店によって違うので、同じ村の中でも味は少しずつ異なります。
トンチミ麺で締める一食
イドンカルビの膳には、たいてい白キムチとトンチミ(大根の水キムチ)が一緒に出てきます。甘くて脂ののったカルビの合間に、澄んだ酸味のあるキムチを挟むと口の中がさっぱりするそうです。チゲとご飯が付くこともありますが、多くの客はトンチミ麺やトンチミ冷麺で締めるのを「ちゃんと食べたイドンカルビ」と考えているといいます。 カルビ店は抱川市二東面の長岩里一帯に集まっていて、かつては一東面と二東面一帯に250軒ほどのカルビ店があったという記録もあります。週末は観光客や面会客で混み合うので、昼のピークを少し外すのがおすすめ。山井湖や白雲渓谷、秋のススキで知られる鳴声山を巡った後に立ち寄れば、登山客の口コミで名を上げたこのカルビの来歴をそのままたどることになります。