
珍島紅酒(ホンジュ)
珍島紅酒(ホンジュ):紫根で赤く染めた焼酎、島が守ってきた酒
全羅南道の珍島には、透明ではなくルビーのように赤い焼酎があります。紫根(チチョ)の根を通して色をつける紅酒が島に伝わった諸説、伝統的な造り方、消えかけてから無形遺産になるまでの経緯、味わい方をまとめました。
透明ではない焼酎、珍島の赤い酒
韓国の蒸留式焼酎は、ふつう水のように透き通っています。ところが全羅南道の珍島には、グラスに注ぐと鮮やかな紅色に輝く焼酎があります。それが珍島紅酒(ホンジュ)です。赤い色は色素を加えたものではなく、蒸留したての酒を「芝草(チチョ)」と呼ばれる薬草の根、つまり紫根に通すことで溶け出したもの。そのため昔は「芝草酒」とも呼ばれました。 韓国の報道によれば、伝統的な製法の紅酒は度数40〜45度ほどとかなり強めです。それでも後味がすっきりしていると評されることが多いお酒です。紫根の量や蒸留時の火加減で、深い紅色から淡いピンクまで色が変わるのも面白いところです。
いつから造られたのか:資料ごとに異なる諸説
紅酒がいつ、誰によって珍島に伝わったのか、正確な記録はありません。蒸留酒の技術そのものは高麗末期に元を通じて朝鮮半島に入ったとされていますが、珍島へ渡った経路については話がいくつもあります。 対モンゴル抗争期に珍島に拠った三別抄や、それを討伐しに来たモンゴル軍と結びつける話もありますが、材料の紫根はモンゴルの地では育ちにくいため、モンゴル伝来説は説得力に欠けるという指摘もあります。朝鮮・燕山君の頃に陽川許氏の一門が珍島に移り住んだ際に製法が伝わったという説、島に流された流刑人が伝えたという説もあります。資料によって異なりますが、朝鮮時代に「芝草酒」と呼ばれ、王に献上される品だったという話は多くのメディアが共通して紹介しています。
蒸し米から赤い酒まで:伝統的な造り方
2004年のソウル新聞が紹介した伝統的な工程はこうです。まず米と麦を7対3ほどで混ぜて固めの蒸し飯(コドゥバプ)を炊き、麹(ヌルク)と混ぜて甕に入れ、暖かいオンドル部屋で半月ほど発酵させます。熟したもろみを釜に入れ、陶器の蒸留器(ソジュッコリ)で蒸留して透明な焼酎を取ります。 最後の工程が紅酒ならではの秘密です。細かく刻んだ紫根を麻の袋に入れ、できたての焼酎をその袋に通すと、鮮やかな紅色が溶け出します。紫根は昔から薬草として使われてきた植物で、かつては珍島に自生していましたが、今は一部の地域で栽培されているそうです。長く置くと色がだんだん黒みがかった赤へと深まり、底に紫根のかすが沈みますが、これは熟成による自然な変化だと説明されています。
消えかけた酒から無形遺産へ
20世紀に入ると紅酒は大きな危機を迎えます。自家醸造を禁じる密造酒の取り締まりが厳しくなり、安価な希釈式焼酎が広まって、伝統的な蒸留酒は居場所を失ったからです。2004年の記事によれば、解放前は名家で造られる高級酒でしたが、取り締まりが厳しくなってからは、かえって島の庶民がひそかに造り続けて命脈を保ったといいます。 1990年代に入ると保存の動きが本格化します。1993年に保存会が結成され、1994年に全羅南道の無形文化財(第26号)に指定されたと紹介されています。2007年には地理的表示に登録され、同じ年にアメリカを皮切りに各国への輸出も始まったそうです。珍島郡は酒の色が7月の誕生石ルビーに似ていることから、7月7日を「紅酒の日」に定めています。
味わい方と旅のヒント
紅酒は度数が高いので、小さなグラスに少しずつ注ぎ、まず香りと色を楽しむのがおすすめです。珍島の人々は昔、お腹をこわしたり風邪気味のときに焼酎グラスで一、二杯飲んだという話も伝わっていますが、あくまで昔の民間の習わしとして聞いておきましょう。 カクテルでも楽しめます。2012年の韓国の酒を使ったカクテル公募で、紅酒ベースの「珍島(Jindo)」が選ばれ、2014年からはバーテンダーの国家資格試験の課題にも入ったそうです。珍島郡は紅酒の体験施設や教育プログラムも運営しているので、旅行前に郡の観光案内で日程を確かめてください。珍島の邑内の特産品売り場で瓶をおみやげに買う人も多いです。運転する日は試飲しないよう気をつけましょう。