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康津・兵営の練炭豚プルコギ

康津・兵営の練炭豚プルコギ

韓国全羅南道 · 康津

康津・兵営の練炭豚プルコギ:500年の軍営の町が大切な客に出した網焼き肉

全羅南道康津(カンジン)の兵営面は、朝鮮時代に全羅道の陸軍司令部が置かれた軍営の町で、ハメルが7年暮らした場所でもあります。この町では、ピリ辛のタレに漬けた豚肉を練炭火の網で焼き、全羅道のおかずとともに出します。伝わる由来話、焼き方、韓定食のような食卓と楽しみ方をまとめました。

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軍営の町・兵営と豚プルコギ

全羅南道康津郡の兵営面(ピョンヨンミョン)は、名前からして軍隊と縁の深い町です。ここの全羅兵営城は1417年(太宗17年)に兵馬節度使の馬天牧が築き、1895年まで500年近く、全羅道と済州島の陸軍を統括する司令部の役割を果たしたと紹介されています。 今の兵営を代表する料理は、練炭火で焼く豚プルコギです。薄切りの豚肉をピリ辛の赤いタレに漬けて網にのせ、練炭の火で焼き上げます。全羅道らしく、おかずが食卓いっぱいに並ぶのも特徴です。2023年には韓国観光公社が康津兵営豚プルコギ通りを10月のおすすめ旅行先の一つに選びました。牛肉で作るおなじみのプルコギとは材料も焼き方も違う、康津ならではの肉料理です。

県監と甥、祝いの膳の豚プルコギ

兵営の豚プルコギには伝わる逸話があります。兵営城に新しい兵馬節度使が赴任したところ、偶然にも康津県監の実の甥だったそうです。節度使は一族の目上である県監を手厚くもてなそうと祝いの膳を用意し、その膳にタレを塗って焼いた豚プルコギが並んだという話です。以来、兵営面では豚プルコギを大切な客に出す料理と考えるようになったと伝えられています。 ただしこの逸話は、いつのことか、誰だったのかが記録で確かめられた話ではありません。地元の言い伝えとして楽しめば十分です。確かなのは、今も兵営の町の兵営城路一帯に豚プルコギを焼く食堂が集まっているということです。

練炭火と網:兵営式の焼き方

兵営の豚プルコギは、薄切りの豚肉にピリ辛の赤いタレをもみ込み、網に挟んで練炭火で焼く方法だと紹介されています。練炭は火力が均一で長持ちするので、薄い肉を焦がさずじっくり焼くのに向いています。網から落ちたタレや脂が火に当たって立ちのぼる香ばしい火の香りが、この料理の魅力です。 使う部位とタレは店ごとに違います。肩(前脚)肉を使う店もあれば、バラ肉を使う店もあり、同じ通りの中でも味が少しずつ異なります。厨房で焼き上げて皿に盛って出してくれる店が多いので、客は焼く手間なく熱々の肉を食べるだけ。添えられたネギの和え物と一緒に食べたり、サンチュに包んだりするのが一般的です。

韓定食のような食卓と康津のトハジョッ

兵営の豚プルコギのもう一つの魅力は食卓です。2023年の報道によると、店によってはホンオ(エイ)、ピョニュク(茹で豚の押し固め)、焼き魚、塩辛などのおかずが一緒に出て、韓定食に近いほどたっぷり並ぶそうです。康津は昔から全羅道の韓定食でも知られた土地なので、プルコギを一皿頼むだけでも、全羅道のおかず文化を味わえるというわけです。 食卓によく上るのが康津のトハジョッです。トハジョッは田んぼや澄んだ淡水にすむ小エビ「トハ」を漬けて作る塩辛で、康津・木浦・海南一帯の地元の人々に特に好まれると紹介されています。塩気とうま味が深く、豚プルコギにちょっとのせたり、ご飯に混ぜたりするとよく合います。おかずの内容は店ごとに違うので、期待を決めつけずにその日の食卓を楽しんでください。

兵営城・ハメルの話と一緒に楽しむ

食事の前後に巡れる場所も近くにあります。復元された全羅兵営城の城壁を歩くことができ、近くのハメル記念館では『ハメル漂流記』の話に触れられます。オランダ人ハメルの一行は1656年に康津の兵営へ来て、ここで7年暮らしたと知られています。 康津郡は2023年5月から10月末まで(夏は一時休止)、金・土曜の午後に兵営五日市の広場で「プルグムプルパ(燃える金曜日のプルコギパーティー)」を開きました。村の婦人会が自ら肉を焼き、サンチュやおかず、トハジョッを添えて1人9,000ウォンで出し、公演やハメルを思わせるビールも楽しめたそうです。毎年開かれるのか、いつ開かれるのかは変わることがあるので、康津郡の案内を先に確かめてください。普段は兵営城路一帯の食堂でいつでも味わえます。

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