
鮭と野菜の三平汁 · 写真: 農林水産省 / CC BY 4.0 (Wikimedia Commons)
三平汁:塩蔵魚の塩気で煮る北海道の冬の汁、道南で生まれたという話
三平汁は、塩や糠に漬けた鮭・ニシン・タラを根菜と一緒に煮て、おもに魚の塩気で味をつける北海道の郷土の汁物です。松前藩や奥尻島など道南にまつわる名前の由来、地域ごとに違う魚、石狩鍋との違いをまとめました。
魚の塩気だけで味をつける汁
三平汁は、昆布でだしをとり、鮭・ニシン・タラ・ホッケなどの魚の塩引きや糠漬けを、ダイコン、ニンジンなどの根菜やジャガイモと一緒に煮た、北海道の冬の名物の汁物です。農林水産省の「うちの郷土料理」にも北海道の郷土料理として掲載されています。 いちばんの特徴は、魚自体から出る塩気をもとに味をつけること。農政事務所のレシピも、魚から塩分が出るので塩は味を見ながら加減するよう案内しています。塩漬けの魚から出た塩気とうま味が野菜にしみて、素朴ながら奥深い味わいになります。同じ鮭の汁物である石狩鍋とよく混同されますが、石狩鍋が生鮭を味噌で味付けするのに対し、三平汁は塩蔵の魚の塩気で煮る点が違います。
「三平」という名前の謎
「三平」という名前の由来ははっきりせず、さまざまな説があります。いちばんよく知られているのは、松前藩にまつわる斉藤三平という人物の話です。狩りに出た殿様が漁師の三平の家でありあわせの汁物をふるまわれて気に入ったという話があり、辞典には藩の賄方だった三平が考案したとも書かれています。 また、蝦夷地の開拓に渡った南部藩の家臣・斎藤三平が、のちに津軽の海を越えてやってきた人たちに奥尻島でふるまった汁を元祖とする説もありますが、斎藤三平の時代より前から三平汁があったとして否定されています。ほかにも、有田焼の陶祖・李参平の三平皿に盛ったからという説や、アイヌ語で心臓を意味する「サンペ」を入れた鮭の内臓の汁物から来たという説もあります。
記録の中の三平汁
文献上で最も古い記録は、1784年ごろの北海道の紀行文『東遊記』に「サンヘイ」という名で紹介されたものだとされます。1789年には紀行家・菅江真澄の著作にも三平汁が登場しますが、このころの三平汁は魚の内臓を原料にした魚醤で山菜を煮たもので、今の姿とはかなり違っていたとまとめられています。同じ著作には、発酵しかけたニシンを山菜と煮た汁など、ほかの魚の汁物も出てきます。 明治時代には、北海道で水揚げされたタラはさばかれて身は本州へ出荷され、残った白子を三平汁に入れて食べていたといいます。このように三平汁は、魚を塩漬けにして長く食べてきた北の浜の人々の知恵が詰まった汁物で、時代とともに姿を変えながら受け継がれてきました。
地域ごとに違う魚
北海道は広いので、三平汁に入れる魚も地域によって違います。道央や道東では塩鮭が、道北では塩ダラが、日本海沿岸では糠ニシンがおもに使われるそうです。塩鮭の切り身に氷頭などのアラを入れることもあり、家庭によってはほかの野菜や酒粕、味噌を入れるところもあります。 興味深いのは道南の檜山地方です。ここでは味噌仕立てを「味噌三平」、塩仕立てを「塩三平」と呼び分け、味噌三平には鮭、塩三平にはスケソウダラを使うことが多いといいます。同じ汁物でも、地域や家によってさまざまな顔を持っています。
道南発祥の話と味わい方
三平汁がどこで生まれたのかもはっきりしませんが、話の舞台はたいてい道南です。三平の話は函館の西、渡島半島の松前地方が舞台で、札幌市の学校給食の資料などには、檜山沖の奥尻島で作った汁が北海道各地に広まったとして奥尻島を発祥とする説も紹介されています。道南の浜の暮らしと深く結びついた料理といえます。 今では北海道各地の家庭で冬に食べる家庭料理に近く、函館をはじめ北海道の郷土料理店や居酒屋で冬のメニューとして出す店もあります。メニューで見かけたら、まず汁をひと口すくって、魚から出た塩気を感じてみてください。石狩鍋と並べて味わえば、味噌と塩という北海道の二つの鮭の汁物の違いがはっきりわかります。