
仙台・宮城風の芋煮 · 写真: Mizu basyo / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)
仙台味噌:伊達家の御塩噌蔵から江戸へ、辛口赤味噌の物語
仙台味噌は米麹と大豆で造る辛口の赤味噌で、そのまま食べてもおいしいことから「なめみそ」とも呼ばれます。有名な伊達政宗の逸話の真偽、藩の御塩噌蔵と江戸進出、旅行者が味わいやすい宮城の芋煮までをまとめました。
米麹で造る辛口の赤味噌
日本の味噌は原料や色、味によって地域ごとに個性がはっきりしています。なかでも仙台味噌は、米麹と大豆で造る辛口の赤味噌です。香りが高くうま味が豊かで、料理に使わずそのまま食べてもおいしいことから「なめみそ」とも呼ばれます。 「仙台味噌」の名前は、どんな味噌にも付けられるわけではありません。2007年に地域団体商標に登録され、県の味噌醤油の業界組合に加盟する県内の製造者が一定の基準に沿って造ったものだけが「仙台味噌」として販売できます。組合は1952年から品質を競う鑑評会も開いています。
有名な逸話、でも本当?
仙台味噌の紹介でよく出てくる話があります。文禄2年(1593年)の朝鮮出兵の際、伊達政宗が持参した味噌が夏でも腐らず、他の武将に分け与えたことで有名になったという逸話です。 しかしこの説は誤りとされています。当時の政宗の居城は仙台ではなく岩出山城で、「仙台」という地名自体も慶長5年(1600年)に政宗が名付けたものだからです。1593年に「仙台の味噌」が名を上げたというのは辻褄が合いません。有名な食べ物には有名人の逸話が付きものなので、話は話として楽しみ、実際の歴史は別に見ていくのがよいでしょう。
藩の味噌醸造所「御塩噌蔵」
仙台味噌の本当の始まりとされるのは、江戸時代に仙台城下に置かれた「御塩噌蔵」です。藩の味噌醸造所で、運営と製造は城下の商人が担いました。寛永3年(1626年)には藩の味噌御用を務めた商人が国分町で「仙台味噌」の看板を掲げたと伝えられ、これが名前の始まりとされています。 仙台味噌が江戸に知られたのは2代藩主・伊達忠宗の頃です。江戸・大井の仙台藩下屋敷で造られた味噌の余剰分が江戸の味噌問屋に払い下げられ、「仙台味噌」の名で江戸市中に広まりました。この屋敷は「味噌屋敷」とも呼ばれたそうです。
近代、関東・東北の標準に
明治以降も仙台味噌の製法は東京府内の業者に広まり、東京市場で人気を博したと伝えられています。明治末期には、陸軍の糧秣廠に勤めていた技術者が温度管理で麹の働きを調節する速醸法を考案し、年単位だった醸造期間を数か月に縮めました。 大きな転機は戦時中でした。米麹を多く使う甘い江戸甘味噌が贅沢品として禁止されると、仙台味噌が配給味噌の基準製法となり、その結果、関東から東北にかけて大きなシェアを持つようになります。戦後は新しい速醸法や信州味噌の普及で関東でのシェアは戦前ほど維持できませんでしたが、今も宮城の家庭の基本の味噌です。
旅行者におすすめの味わい方:宮城の芋煮
仙台味噌の味を知るのにぴったりなのが、秋の里芋の鍋「芋煮」です。隣の山形県内陸では牛肉に醤油味ですが、宮城では豚肉を入れて味噌で味付けするのが基本。里芋に豚肉、大根、にんじん、長ねぎ、こんにゃくなどを入れて味噌で煮るので、同じ芋煮でも県境を越えると味ががらりと変わります。秋に河原に集まり、大鍋で芋煮を作って食べる光景もこの地域ならではです。 味噌そのものを買って帰りたいなら、仙台市内の老舗味噌店や駅の土産売り場で「仙台味噌」の表記を探してみてください。辛口で濃い味なので、みそ汁はもちろん、きゅうりや野菜にそのまま付けて食べるのもおすすめです。