歴史
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昆布の佃煮 · 写真: Jun OHWADA / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

昆布の佃煮 · 写真: Jun OHWADA / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

日本東京

佃煮:江戸・佃島の漁師の保存食が全国のご飯のお供になるまで

小魚や貝、昆布を醤油と砂糖で煮詰めた佃煮は、その名のとおり東京の「佃島」から生まれました。大坂から来た漁師が島を築いた話、保存食が江戸名物になった経緯、元祖をめぐる諸説をまとめました。

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名前がそのまま地名

佃煮は、小魚や小エビ、貝類、昆布などの水産物や野菜を、砂糖・醤油・みりんなどで作った濃い調味液で甘辛く煮詰めた保存食です。調味液を素材にしっかりしみ込ませて煮詰めるのが基本で、日持ちがよく、少しの量でご飯一杯が進みます。 その名前は、東京都中央区の「佃」、かつての佃島に由来します。佃島で作り始められたことにちなんで名付けられたといわれています。今は月島駅の近く、もんじゃ焼きで有名な月島と隣り合う静かな町ですが、江戸時代には隅田川河口の小さな島でした。この島ができた経緯からして、なかなか興味深いのです。

大坂の漁師が築いた島・佃島

佃島の主役は、摂津国佃村、今の大阪市西淀川区あたりの漁師たちです。徳川家康がゆかりのあるこの村の漁師を江戸に呼び寄せ、漁師たちは隅田川河口の干潟を埋め立てて島を築き、故郷の名を取って佃島と呼んだと伝えられています。 家康との縁については、1586年に家康が神崎川を渡る際に佃の漁師が舟を出したという話などが伝わりますが、伝承の色合いが濃いものです。島の完成は1645年頃とされ、移住した漁師の数は33人とも34人ともいわれます。漁師たちは故郷の神社から分霊を迎え、島の守り神として住吉神社を建てました。

保存食から江戸名物へ

佃島の漁師たちは、悪天候で漁に出られないときの食料や、出漁時の船内食として、小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて保存していたといいます。雑魚が大量に獲れると多めに作って売るようになり、これが佃煮の始まりとされています。 日持ちがよく値段も安かったため、佃煮は江戸の庶民に広まりました。全国に広がったのには参勤交代も一役買っています。各藩の武士が江戸と国元を行き来する際、佃煮を江戸の名物・土産として持ち帰ったことで、その名が全国に知られたとされています。近代には缶詰とともに軍用食としての適性が注目され、家内製造から小規模工場生産へと発展しました。

「元祖」は誰か、いくつもの説

佃島の漁師の保存食が起源というのが一般的な説明ですが、今の佃煮を「商品」にしたのは誰かについては諸説あります。幕末に商人が佃島の煮物にヒントを得て「佃煮」の名で売り出したという話や、浅草や日本橋の商人が醤油を使って今の原形を作ったという話などが伝わっています。 佃島に住吉の神を祀る際、祭礼に供えた雑魚の煮物が始まりという説もあります。説が多いのは、漁師の素朴な保存食が商人の手を経て商品になるまでに、多くの人が少しずつ今の姿を作ってきたからでしょう。江戸の人々がともに育てた味と考えるのが自然です。

東京で佃煮に出会うには

佃煮のふるさとを自分の目で見たいなら、月島駅から少し歩いて佃の町を訪ねてみてください。高層マンションの間に昔の漁師町の路地や住吉神社が残り、老舗の佃煮店が今も商いを続けています。隣の月島のもんじゃ焼きと合わせて一日コースにするのもおすすめです。 築地場外市場のあたりでも、かごに盛られたさまざまな佃煮を見ることができます。素材は昆布、あさり、小魚、小エビ、海苔などさまざまで、地方によってはイナゴの佃煮のような珍しいものもあります。食べ方は簡単で、温かいご飯に少しのせたり、おにぎりの具にしたり、お茶漬けに添えたりします。日持ちがよく軽いのでお土産にも人気ですが、店ごとに甘さと塩気のバランスが違うので、試食できるなら味見して選ぶとよいでしょう。

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