
小松菜 · 写真: 日陰猫Joga at Japanese Wikipedia / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)
小松菜と江戸東京野菜:将軍が名付けたという東京の冬菜
日本のどのスーパーでも見かける小松菜は、実は東京・江戸川区の旧地名「小松川」から名前をもらった野菜です。将軍の鷹狩りにまつわる命名伝説、今も都内一の産地である江戸川区、練馬大根や千住ねぎなど「江戸東京野菜」の話をまとめました。
名前は東京の地名から
小松菜は日本の家庭でいちばんよく食べられる青菜のひとつです。おひたしや炒め物、みそ汁、鍋物に幅広く使われ、見た目はチンゲンサイやほうれん草に似ていますが、葉がなめらかで味はやさしめです。 その名前は地名に由来します。江戸時代初期に現在の東京都江戸川区小松川付近で栽培され始めたといわれ、その土地の名をとって「小松菜」と呼ばれるようになったというのです。直接の前身は江戸時代の「葛西菜」とされ、中国から伝わったカブの仲間とアブラナの交雑種という説もあります。毎日食べる身近な野菜が、実は東京の東の端の町の名前を背負っているわけです。
将軍の鷹狩りと一杯の雑煮
小松菜という名前には将軍が登場する伝説があります。享保4年(1719年)、8代将軍・徳川吉宗が西小松川で鷹狩りをした際、近くの香取神社で食事をとることになりました。食材が乏しかったため、神社の神主が餅のすまし汁に青菜を添えて出したところ、吉宗がこれを気に入り、地名にちなんで「小松菜」と名付けたという話です。 ただし、これはあくまで伝承です。江戸川区も、命名には諸説あり、吉宗のほかに3代家光や5代綱吉とする説もあると紹介しています。神社での逸話も伝わる話のひとつと見るのがよいでしょう。それでも、冬の畑の素朴な青菜が将軍の舌をとらえたという話は、この野菜が江戸の人々にどれほど身近だったかを物語っています。
今も都内一の産地・江戸川区
小松菜のふるさと江戸川区は、今も都内でいちばん多く小松菜を育てている地域です。江戸川区が2025年に発表した資料によると、令和5年度の区内の小松菜収穫量は2,631トンで、東京都全体の収穫量6,465トンの約4割を占め、長年都内1位を守っています。区内266戸(令和6年度)の農家のほとんどで小松菜が生産されているそうです。 都市化の進んだ23区の中でこれほどの野菜を育てているのは驚きですが、これは江戸時代から大都市・江戸の台所を支えてきた近郊農業の伝統が続いている結果でもあります。鮮度が命の葉物野菜は、消費地の近くで育てるほうが有利だったからです。江戸川区は小松菜を区のシンボルのように打ち出し、小松菜を使った商品やイベントも続けています。
「江戸東京野菜」という伝統野菜
小松菜は「江戸東京野菜」と呼ばれる伝統野菜の代表格でもあります。江戸時代に参勤交代で各地の種が江戸に集まり、それを江戸の風土に合わせて改良した品種や在来種など、東京で栽培されてきた固定種を指します。はじめは「江戸野菜」と呼ばれていましたが、今では多摩地域や伊豆諸島の品種、明治から昭和中期に生まれた品種まで広げ、JA東京グループが数十品目を認定しています。 小松菜では「ごせき晩生小松菜」や、世田谷・目黒・大田区などで作られてきた「城南小松菜」などが江戸東京野菜に入っています。同じ小松菜でも古い固定種は味や形が少しずつ違い、それを守ろうとする農家や料理人の取り組みが続いています。
練馬大根から谷中生姜まで、そして東京の雑煮
江戸東京野菜には東京の地名が付いたものが多く、名前を見るだけで江戸近郊の畑の風景が浮かびます。練馬区の「練馬大根」、江東区亀戸の「亀戸大根」、足立区の「千住ねぎ」、墨田区の「寺島なす」、荒川区の「谷中生姜」などが代表的です。亀戸大根は江戸時代後期から亀戸で栽培されてきた大根で、根が短めで先細り、肉質が緻密で水分が少ないのが特徴だそうです。 小松菜は江戸時代から関東・東京で栽培された「冬菜」として親しまれてきたため、関東・東京地方では正月の雑煮に欠かせない野菜のひとつとされています。吉宗の伝説に出てくる餅のすまし汁を思わせる光景です。東京を旅してスーパーや直売所で「江戸東京野菜」の表示や地名の付いた野菜を見かけたら、その名前に込められた町の物語を思い浮かべてみてください。