
五色生菓子
五色生菓子:日・月・山・海・里をかたどった金沢の婚礼菓子
1601年、加賀藩前田家の婚礼のために作られたと伝わる五種の生菓子。一つひとつが日と月、山と海、里を表すという金沢の祝い菓子、五色生菓子の由来と習わしをまとめました。
五つでひと組の祝い菓子
五色生菓子は、加賀藩の城下町だった金沢市周辺に伝わる生菓子です。「五色」は五つの色、「生菓子」は焼いたり乾かしたりしない、しっとりしたお菓子のことです。 一つだけを食べるのではなく、五種類をひと組にして詰めるのが特徴です。五種ともに小豆餡を使い、それぞれが日・月・山・海・里を表し、「日月山海里」、つまり森羅万象を表現しているとされます。五臓六腑になぞらえて健康祈願が込められている、という説明もあります。 農林水産省は、五色生菓子を江戸時代から伝わる生菓子で、婚礼や上棟式などのお祝いの場に欠かせない縁起菓子と紹介しています。
1601年、8歳の花婿と3歳の花嫁の婚礼
五色生菓子の由来として伝わる話は、1601年(慶長6年)にさかのぼります。農林水産省の資料によると、この年、のちの二代将軍・徳川秀忠の息女である3歳の珠姫が、8歳の前田利常のもとへ輿入れしました。 このとき利常の養父で加賀藩二代藩主の前田利長が、御用菓子屋に婚礼にふさわしい菓子をつくるよう命じたのが始まりとされます。菓子屋は器にもこだわり、五重の菓器に納めて献上したといいます。 加賀藩と徳川家を結ぶ婚礼を祝い、森羅万象を五つの菓子に込めたというこの話が、今も金沢の婚礼菓子として受け継がれています。
五つの菓子の読み解き方:どれが日で、どれが海?
農林水産省の伝統食紹介に載っている五種は次の通りです。 「日」は、こしあんの丸餅の上半分に赤い米粉をまぶして日の出を表したもので、「ささら」とも呼ばれます。「月」は白い酒まんじゅう。「里」は蒸し羊羹で村里を表し、以前は羊羹を使っていたともいわれます。「海」はひし形の餅で波を表し、「ながまし」「うずら」とも呼ばれます。「山」は、黄色く色付けした道明寺粉をまぶして栗のいがに見立てた「いがら餅」です。 色と形を見れば何を表しているのか想像できるように作られているわけです。お店でひと組を買ったら、「これが日、これが山」と当てながら一つずつ食べるのも楽しい味わい方です。
黒塗りの蒸籠と20個の菓子:婚礼の習わし
婚礼に五色生菓子を贈る習わしは、明治時代に庶民にも広まったと伝えられます。 かつては新婦の実家から婚家へ、菓子を詰めた重箱を五重の黒塗りの飾り蒸籠に載せて届け、全部で20個の菓子を詰めるのが習わしだったという記録もあります。蒸籠は門前や玄関に飾られ、婚儀のあとは新婦が親戚や近所に菓子を配ってあいさつ代わりにしました。 仏事に使われることもありました。江戸時代から昭和中期までは「日」の餅の赤い粉を緑に変えて仏事に用い、大正時代には酒まんじゅうを焼いたものが使われるようになったといいます。祝いと弔い、両方の場で金沢の人々の暮らしに寄り添ってきたお菓子です。
今味わうなら:一年中、お土産としても
暮らしの変化とともに、今では婚礼で20個をそろえる姿はほとんど見られなくなり、5〜10個ほどを祝い菓子として使うこともあるそうです。包みも、以前は輪島塗の重箱に加賀袱紗をかけていましたが、現在は紙箱入りが一般的です。 それでも金沢の和菓子店では五色生菓子が一年を通して売られていて、婚礼でなくても誰でも買うことができます。昔の味を懐かしむ地元の人が買うこともあれば、観光のお土産としても親しまれています。市内の和菓子店が並ぶ通りや駅周辺のお土産売り場で探してみてください。 生菓子なので日持ちはしません。買ったらその日か翌日のうちに食べるのがおすすめです。加賀棒茶を一杯添えれば、金沢らしい午後のお茶の時間になります。