
京都のにしんそば · 写真: rhosoi / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)
にしんそば:北海道のニシンが京都名物のそばになるまで
温かいそばの上に、甘辛く炊いたニシンが一切れ。海から遠い京都がなぜニシン料理の町になったのか。北前船と身欠きにしん、1882年の誕生話、味わい方までまとめました。
にしんそばとは:温かいそばにニシンの甘露煮
にしんそばは、温かいかけそばの上に、身欠きにしんを甘辛く炊いた「にしんの甘露煮」をまるごとのせた料理です。北海道とならび、京都を代表する名物料理に数えられます。 京都風は、かつお節と昆布でとった澄んだだしに薄口しょうゆを使うので色が淡く、上に九条ねぎなどの青ねぎをのせます。食べ進めるうちに、すっきりしただしに甘露煮の甘みと脂が少しずつ溶け出し、つゆの味わいが深まっていくのが魅力です。 甘露煮は骨まで柔らかくなるまで炊いてあるので、骨を気にせず食べられます。今も京都市内の多くのそば店の品書きににしんそばがあり、地元の人にも旅行者にもおなじみの一杯です。
海のない京都がニシンを食べる理由:北前船と身欠きにしん
ニシンは京都の近海でとれる魚ではありません。江戸時代からニシン漁で栄えたのは北海道(当時の蝦夷地)でした。では、なぜ京都がニシン料理の本場になったのでしょうか。 鍵は「北前船」です。北海道・東北・北陸と京都・大阪を結んだこの買積船は、ニシンも運びました。農林水産省の資料は、京都でニシンが食べられるようになった背景に、江戸時代中期から明治30年代にかけての北前船の影響が大きいと説明しています。 ニシンは内臓を取り除いて干した「身欠きにしん」に加工されました。保存の効くこの干物は若狭湾から鯖街道を通って京都に届き、京の家庭料理やそばに根づいていきます。
1882年、劇場の隣のそば屋で生まれた一杯
にしんそばが京都で一つの料理として定着したのは明治時代です。よく知られている話では、1882年(明治15年)、四条の歌舞伎劇場・南座の隣にあったそば店が、ニシンの甘露煮を温かいそばにのせて出したのが始まりとされます。 ただしこれは主に店側の言い伝えに基づく話で、家庭ではそれ以前からニシンの甘露煮が作られていました。それでも今なお、にしんそばといえば四条大橋のたもと、南座のある祇園・四条かいわいを思い浮かべる人は多いです。 一方、北海道の江差町にも、地元の旧家に伝わるレシピがにしんそばの元祖だという話があります。どちらが先かは断定しにくく、どちらの土地もにしんそばを名物として打ち出しています。
甘露煮の作り方と北海道風との違い
にしんそばの味を左右するのはニシンの甘露煮です。農林水産省の資料に紹介されている基本の手順はこうです。身欠きにしんを米のとぎ汁(または米ぬかを加えた水)に一晩漬けて柔らかくし、酒と水でアクを抜いてから、醤油と砂糖を加えて煮ます。干物を使うので一年中作れます。 同じにしんそばでも北海道と京都はかなり違います。北海道は濃口醤油を使うため汁の色もだしも濃く、白ネギをのせ、江差では刻みのりを添える店も多いそうです。京都は色の薄い汁に九条ネギのような青ネギをのせます。 両方を訪ねるなら、汁の色とネギを比べてみてください。同じ名前の料理が土地によってどう変わるかが一目でわかります。
いつ、どこで食べる?大みそかの年越しそばにも
にしんそばは一年中食べられますが、京都の人にとっては大みそかの年越しそばとしても親しまれています。夏には、もりそばを使った「冷やしにしんそば」を出す店もあります。 ニシンの甘露煮は、そば以外にも京都の家庭料理によく使われます。なすと炊き合わせる「にしんなす」、昆布で巻いて煮る「にしんのこんまき」が代表的で、甘露煮そのものをおかずにすることもあります。市内の市場周辺のおばんざい屋さんで甘露煮だけを買い、宿で味わうのも一つの方法です。 探しやすいのは四条大橋周辺と祇園あたり。ただ、京都市内のあちこちの町のそば屋でもよくあるメニューなので、観光地から少し外れた店で素朴な一杯を味わうのもおすすめです。