
正暦寺の「日本清酒発祥之地」碑 · 写真: Tamago Moffle / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commons)
日本清酒のふるさと奈良:正暦寺とよみがえった「菩提酛」
奈良市の山あいの寺・正暦寺には「日本清酒発祥之地」の碑が立っています。室町時代の僧が醸した酒とその秘訣「菩提酛」、一度途絶えて20世紀末によみがえった話、毎年1月の清酒祭までまとめました。
寺で醸された酒「僧坊酒」の時代
今では酒は酒蔵でつくるのが当たり前ですが、中世の日本では大寺院が優れた酒を醸していました。こうした寺でつくられた酒を「僧坊酒」と呼びます。 なかでも名高かったのが、奈良市菩提山町の山あいにある正暦寺です。ここでは平安時代中期から室町時代末期にかけて「菩提泉」という酒が醸され、当時の最高級の酒とされたと伝えられます。 境内には2000年に建てられた「日本清酒発祥之地」の碑があり、酒好きの旅行者が訪れる場所になっています。ただし日本酒の起源には諸説あり、奈良を「発祥地の一つ」とみる見方もあることは知っておくとよいでしょう。
菩提酛とは:夏でも酒を造れた「そやし水」
正暦寺の酒を特別なものにしたのは、「菩提酛」という酒母のつくり方です。酒母は酵母を大量に育てて本仕込みの土台にするもので、酒の味を左右する重要な工程です。 室町時代の文献『御酒之日記』に残る方法では、生米を水に浸して乳酸発酵させた酸っぱい水「そやし水」をまずつくり、その水で酒母を仕込みます。気温が高い時期にも向いた製法で、雑菌が増えやすい暖かい季節でも酒を造れるようにした知恵だと評価されています。 竹ざるの一種「笊籬(いかき)」を使うことから「笊籬酛」という別名もあり、この製法はほかの寺院や奈良流の酒屋にも広まっていきました。
途絶えて、よみがえった酒:1990年代の復活
菩提酛は、ほかの醸造法が主流になるにつれてしだいに姿を消しました。とくに1909年(明治42年)に酒母を短期間でつくる「速醸酛」が開発されてからは、大正時代に途絶えたとされてきました。 転機は20世紀の終わりです。1990年代半ば、奈良県内の酒蔵と奈良県工業技術センター、正暦寺などが「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」をつくり、正暦寺で菩提酛の酒母を復元しました。1999年ごろからは各蔵がこの酒母で醸した清酒を出しています。始まりの時期は資料によって少しずつ異なります。 おかげで今では、数百年前の僧侶たちの方法でつくった酒を実際に味わうことができます。
毎年1月の「菩提酛による清酒祭」
正暦寺では毎年1月に「清酒祭」が開かれ、菩提酛の酒母の仕込みが公開されます。2026年は1月10日に行われました。寺の湧き水に浸した米を蒸し、麻布に広げて冷ましてから麹とともにタンクに仕込むなど、昔ながらの工程を間近で見られる貴重な機会です。 祭りの日には菩提酛で醸した酒の試飲や購入ができると紹介されており、研究会の蔵の酒は正暦寺の塔頭でも買えるそうです。 正暦寺は紅葉の名所としても知られ、秋に訪れれば赤く染まった山とともに「酒のふるさと」を巡ることができます。祭りの日程や拝観時間、交通は年によって変わることがあるので、訪問前に寺や観光案内で必ず確認してください。
菩提酛の酒の楽しみ方と、奈良の酒の話
菩提酛で醸した酒は、乳酸発酵を経た酒母のおかげで酸味が比較的はっきりした個性的な味わいだとよく評されます。蔵ごとにスタイルが異なり、すっきりしたものから濃醇でどっしりしたものまでさまざまです。奈良市内の地酒を扱う店で「菩提酛」と表示された酒を探し、同じ蔵の普通の酒と飲み比べてみましょう。 正暦寺では菩提酛のほかにも、麹米と掛米の両方に白米を使う「諸白」や、三回に分けて仕込む「三段仕込み」といった技術が磨かれたと伝えられ、これが近代日本酒の土台になったという説明もあります。 お酒好きなら、酒の神として知られる桜井市の大神神社とあわせて、奈良の「酒めぐり」を計画してみてください。運転の予定があるなら試飲は控えましょう。