歴史
西宮の「宮水発祥之地」の碑 · 写真: Miya.m / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)

西宮の「宮水発祥之地」の碑 · 写真: Miya.m / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)

日本神戸

灘の酒(灘五郷):神戸の海辺が日本一の酒どころになった理由

神戸の東の海辺には、日本酒の約4分の1を造る酒蔵の町が連なっています。宮水という水、六甲から吹く風、江戸へ酒を運んだ船——灘の酒が名を上げた物語と訪ね方をまとめました。

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灘五郷とはどこか

灘五郷は、兵庫県の海沿いに集まる五つの酒造地の総称です。神戸市灘区の西郷、東灘区の御影郷・魚崎郷、そして隣の西宮市の西宮郷・今津郷が含まれます。神戸の中心部から阪神電車で東へ向かうと、車窓に大きな酒蔵が並んで見える、まさにその一帯です。 日本語版ウィキペディアによると、灘五郷は日本で最も多く日本酒を造る地域で、2020年代時点で国内生産量の約25%を占めます。京都・伏見、広島・西条と並ぶ「日本三大銘醸地」とされ、日本を代表する大手酒造メーカーの多くがここで生まれ、今も本社を置いています。「灘の酒」は地域団体商標として、「灘五郷」は地理的表示(GI)として登録されています。

江戸っ子が飲んだ酒の大半

灘は最初から酒どころだったわけではありません。nippon.comは、日本酒発祥の地といわれる奈良や伏見、伊丹ほど古くから酒造りが盛んだったわけではないと説明しています。江戸時代初期に伊丹の酒造技術が伝わり、海運に便利なこの海岸に酒蔵が次々とできて急成長しました。 元禄期(1688〜1704年)ごろから江戸の酒の需要が大きく伸びると、灘の酒は酒樽専用の貨物船「樽廻船」で江戸へ送られました。上方から江戸へ「下る」ことから「下り酒」と呼ばれ、江戸では上等な酒として扱われました。江戸で飲まれた酒に占める灘の酒の割合は資料によって異なり、nippon.comは江戸後期に約8割、日本語版ウィキペディアは文化・文政期(1804〜1830年)に江戸へ入った酒の5割としています。海に近いことが、米を運び入れ酒を運び出すうえで大きな強みになったのです。

宮水の発見

灘の酒を語るうえで欠かせないのが「宮水」です。西宮神社の南東一帯から湧く地下水で、1837年または1840年(資料により異なる)、ある蔵元が同じ造り方なのに西宮と魚崎で酒の味が違う理由を探り、西宮の井戸水にあると突き止めたのが「宮水の発見」とされます。nippon.comは、その水を牛の背に載せて7km以上離れた魚崎で試したところ、結果が確かめられたと紹介しています。 宮水はカリウムやリンなどのミネラルが多く麹や酵母の働きを助け、酒の色や味を損なう鉄分はごくわずかです。その後、灘の蔵は競ってこの水を使い、井戸を掘って酒蔵に水を売る「水屋」という商売まで生まれたといいます。宮水は環境省の「名水百選」にも選ばれ、西宮には「宮水発祥之地」の碑が立っています。

米と風と杜氏:「灘の生一本」

水だけで銘醸地になるわけではありません。冬になると六甲山から海へ冷たい「六甲おろし」が吹き下ろし、蒸した米を素早く冷ますのに役立ち、冬に集中して仕込む「寒造り」に向いていました。nippon.comによると、酒蔵の建物もこの風を取り込むよう北側に開口部を設けていたそうです。六甲の急流を使った水車は精米に使われ、生産量を伸ばしました。 米では、兵庫県が誇る酒米「山田錦」が有名です。1923年に兵庫県で改良された品種で、今や最高の酒米とされ、約8割が兵庫県で栽培されています。そこに日本三大杜氏の一つ、兵庫県東部の丹波杜氏の技が加わりました。そのため昔から「播州米に宮水、丹波杜氏に六甲颪」という言葉とともに、力強くきりっとした灘の酒は「男酒」とも呼ばれてきました。

訪ね方と楽しみ方

神戸で灘の酒を楽しむいちばん手軽な方法は、阪神電車の魚崎駅や石屋川駅、御影駅周辺の酒蔵通りを歩くことです。この一帯には大手酒造会社が運営する酒造記念館や直売所が集まり、無料で入れて昔の酒造り道具を見学し、試飲できるところもあります。営業時間や休館日は施設ごとに違うので事前に確認を。西宮まで足をのばせば宮水発祥之地の碑も見られます。 試飲では、搾りたての生酒やその蔵でしか買えない限定酒を選ぶのがおすすめ。昔の下り酒を再現し、杉樽で香りを付けた「樽酒」を出すところもあります。酒粕で作る粕汁や酒粕を使ったお菓子も酒蔵通りの楽しみです。冬の新酒の季節には軒先に新しい杉玉が吊るされるので、その時期に訪ねるとより風情があります。飲んだあとは必ず電車で移動しましょう。

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