歴史
和三盆の干菓子 · 写真: iwaryo from Tokyo, Japan / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

和三盆の干菓子 · 写真: iwaryo from Tokyo, Japan / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)

日本高松

和三盆:高松藩が育てた口どけの砂糖、押して研ぐを繰り返す200年の技

口に入れるとすっと溶ける淡い色の砂糖、和三盆。江戸時代、高松藩が砂糖づくりに乗り出したことで東讃に根づいた特産品です。誕生の物語と製法、旅先での味わい方をまとめました。

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和三盆とはどんな砂糖か

和三盆は、日本古来の製法で作る上質な砂糖です。香川県の観光案内によると、四国東部、つまり香川と徳島を中心に200年以上作られてきました。香川では東部、今の東かがわ市一帯が主な産地です。 ふだん目にする白砂糖と違い、和三盆は淡いアイボリー色で、粒子がとても細かく、口に入れるとすっと溶けて消えます。甘さがとがらず、やわらかな風味が残るのが特徴で、昔から茶道の和菓子に重宝されてきました。高松でお土産店や和菓子店に入ると、和三盆で作った小さなお菓子が必ずと言っていいほど並んでいますが、それこそが香川の砂糖の歴史が生んだものです。

高松藩の砂糖づくり

江戸時代中期まで、日本の砂糖は輸入品か薩摩(鹿児島)の黒砂糖が中心でした。八代将軍徳川吉宗がサトウキビの栽培と製糖を奨励すると、各地の藩が砂糖づくりに乗り出します。 香川県の県産品紹介によると、高松藩五代藩主・松平頼恭は藩医の池田玄丈に製糖の研究を命じました。薩摩からサトウキビの苗を取り寄せたものの、初めは売り物にならない柔らかい黒砂糖しかできず、糖蜜を抜いて白い砂糖にする方法を見つけることが課題でした。頼恭が砂糖に目をつけたのは藩の財政を立て直すためだったと伝えられています。やがて江戸時代の讃岐は、塩・砂糖・綿の「讃岐三白」で知られるようになります。

弟子・向山周慶と和三盆の完成

研究を引き継いだのは、池田玄丈の弟子・向山周慶(さきやましゅうけい)です。大川郡白鳥村湊(現在の東かがわ市)出身の医師で、1803年(享和3年)に白砂糖づくりに成功して藩主に献じ、頼恭の墓前に成功を報告したと伝えられています。ただ、製法が整った時期や誰がどこまで関わったかは資料によって少しずつ異なります。 その後、藩が製糖を強く奨励したことで、和三盆づくりは東讃の主要産業として広がりました。江戸後期には讃岐の砂糖生産が全国一だったとされ、その時期を天保年間とする資料もあれば、嘉永・安政年間(1850年前後)を最盛期とする資料もあります。東かがわ一帯には今も当時の製法を受け継ぐ製糖所が残り、200年を超える技が今も続いています。

押して研ぐを繰り返す製法

香川県の県産品紹介に載っているある製糖所の工程では、原料は東讃で育てる細長いサトウキビ「竹糖」です。霜が降りる前の12月に収穫し、汁を搾って釜で煮詰め、あくを取り除き、冷まして結晶させます。 肝心なのはここからです。この砂糖を布に包んで「押し槽(おしぶね)」に入れ、石で一昼夜押して糖蜜を抜きます。取り出した砂糖は台の上で少しずつ水を加えながら手で研ぎ、もみ込みます。これが「研ぎ」です。この製糖所では押しと研ぎを5回繰り返すそうです。名前は「盆の上で砂糖を三度研ぐ」ことに由来するという説明がよく知られています。

旅先で和三盆を味わう

和三盆をいちばん直接味わえるのは、木型で打ち出した小さな干菓子です。花や波、季節の文様を彫った木型に和三盆を詰めて抜き出したお菓子で、口に入れると文様ごとすっと溶けます。抹茶と合わせると、ほろ苦さとやわらかな甘さがよく調和します。 香川県の観光案内では、高松エリアで和三盆の干菓子を木型で作る体験も紹介されています。砂糖を混ぜ、型に詰め、板の上に抜き出すという簡単な工程で、誰でもできるそうです。お土産には干菓子のほか、粉の和三盆もあります。コーヒーや紅茶に入れたり、煮物やジャムに使ったりすると素材の味を引き立てる、というのが地元の生産者のおすすめです。湿気に弱いので、開封後は密閉して保存しましょう。

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