
フーコック島の魚醤工場の熟成樽 · 写真: Frank Fox / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)
ヌクマム(魚醤)の話:ベトナムの味の根っこと「つけだれ」文化
ベトナム料理のうま味を支えるのは、カタクチイワシと塩だけで造る魚醤ヌクマムです。造り方、良い魚醤を見分ける数字「度(°N)」、ほとんどの料理に添えるたれヌクチャム、そしてエビの塩辛など他の発酵調味料までまとめました。
カタクチイワシと塩、そして時間
ヌクマム(nước mắm)は、ベトナム料理で日本の醤油に近い位置を占める基本の調味料です。炒め物、煮物、スープ、和え物を問わずほとんどの料理に入り、食卓ではつけだれにもなります。 材料は驚くほどシンプル。主にカタクチイワシ(カーコム、cá cơm)を塩と混ぜて大きな樽に詰め、長い時間熟成させると、魚のたんぱく質が分解されて澄んだ琥珀色の液体がしみ出てきます。ベトナムではイワシ以外にサバやタチウオなどを使うこともあります。伝統的なベトナムの魚醤は、砂糖や保存料を加えないのが特徴とされます。初めて嗅ぐと強い匂いに驚きますが、料理に入ると生臭さよりも深いうま味と塩気に変わります。ベトナム料理ならではの「何とも言えない深み」の正体は、このヌクマムなのです。
木樽で熟す伝統の製法
伝統的な製法では、カタクチイワシと塩をおよそ3対1の割合で混ぜ、大きな木樽に詰めて熟成させます。気候の違う土地では4対1にすることもあります。昔ながらの方法なら1年以上、今の生産ではふつう6〜12か月待つ間に、魚のたんぱく質がゆっくり分解されてうま味が深まっていきます。最初に取れる濃い一番搾りはヌクマム・ニー(nhĩ)と呼ばれ最上とされますが、造り手が売らずに自家用や贈り物にすることも多いといいます。 産地としては、南中部海岸のファンティエット(Phan Thiết)がベトナムの魚醤発祥の地としてよく挙げられ、南西の島フーコック(Phú Quốc)も名高い産地です。フーコックの魚醤は2012年10月、ASEAN諸国の産品として初めてEUの原産地呼称保護(PDO)に登録されました。
ラベルの数字「度(°N)」の読み方
ベトナムのスーパーで魚醤の瓶を見ると、「25°N」「35°N」「40°N」といった数字が大きく書かれています。これはベトナム語でドーダム(độ đạm)と呼ばれる窒素含有量で、魚醤1リットルに含まれる窒素のグラム数を表します。窒素は魚のたんぱく質から出たアミノ酸の量を示すので、数字が高いほどうま味が濃く、魚を多く使っていると考えられます。 市販品はおおむね20度台半ばで、30度を超えれば高級、40度ほどなら最上級とされます。お土産に買うなら、度数とあわせて原料がイワシと塩だけかどうか成分表示も確かめましょう。液体なので、飛行機に載せるときは機内持ち込みの規則と梱包にも気を配る必要があります。
ヌクチャム:ほとんどの料理に添えるたれ
食堂で小皿に入って出てくる甘酸っぱいたれは、たいていヌクチャム(nước chấm)です。魚醤に水と砂糖、ライム果汁(または酢)を混ぜ、刻みニンニクと小粒の唐辛子を浮かべるのが基本で、最も簡単な比率は魚醤1、砂糖1、水2と紹介されます。塩味、甘味、酸味、辛味がひとつの器に集まったたれです。 ヌクチャムは揚げ春巻きのチャーヨー(chả giò)、生春巻きのゴイクオン(gỏi cuốn)、バインセオ(bánh xèo)、バインクオン(bánh cuốn)、砕き米ご飯のコムタム(cơm tấm)、各種ブン(bún、米麺)料理に欠かせません。地域によって味も違い、北部は肉やエビのだしを加えることがあり、中部は水を控えて濃いめに、南部はヤシ砂糖やココナッツウォーターで甘みを出すことが多いといいます。
エビの塩辛と魚の塩辛:さらに深い発酵の世界
ヌクマムが澄んだ液体だとすれば、魚やエビを丸ごと発酵させてどろりとさせた塩辛を総称してマム(mắm)と呼びます。マムはヌクマムより熟成期間が短く、身と汁を一緒に保存するのが特徴です。 旅行者がいちばんよく出会うのは、小エビを発酵させた紫色のマムトム(mắm tôm)。匂いがとても強く好みが大きく分かれますが、ハノイのブンダウ(bún đậu、米麺と揚げ豆腐)のような料理では、ライムと砂糖を加えて泡立つまで混ぜたマムトムにつけるのが定番です。中部では魚を発酵させたマムネム(mắm nêm)を添える料理が多くあります。初めてならヌクチャムに替えてもらえるか聞くのも手ですが、一度は現地流で味わってみるのがおすすめ。塩辛に通じる味わいなので、意外と口に合うかもしれません。