
点てたての抹茶 · 写真: Pinnaclematcha / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)
宇治抹茶:800年の茶どころが抹茶スイーツのふるさとになるまで
京都の南・宇治は日本三大茶のひとつに数えられる茶どころです。鎌倉時代の僧が植えた茶の木に始まり、将軍家への献上茶、覆下栽培の抹茶、そして今の抹茶パフェやソフトクリームまで、宇治茶の歴史と楽しみ方をまとめました。
宇治茶とは:名前に込められたルール
宇治は京都市内から電車で南へすぐの町で、10円玉に描かれた平等院で知られます。この一帯は、静岡茶・狭山茶と並ぶ日本三大茶のひとつ、宇治茶のふるさとでもあります。 面白いのは宇治茶の定義です。京都府・奈良県・滋賀県・三重県の4府県で採れた茶葉を、京都府内の業者が府内で仕上げ加工したものを宇治茶と呼び、京都府産を優先します。実際の主産地も宇治市だけでなく、和束町、南山城村、宇治田原町など京都府南部に広がっています。2015年には、この地域の茶文化が「日本茶800年の歴史散歩」として日本遺産に認定されました。
僧が植えた茶の木と将軍の茶園
宇治茶の歴史は鎌倉時代にさかのぼります。宋から帰国した栄西が持ち帰った茶の種を明恵上人が京都北西の栂尾に植え、その後宇治にも広まったと伝えられます。明恵が馬の蹄の跡に茶の種をまくよう宇治の人々に教えたという伝説も残っています。 室町時代には将軍・足利義満の庇護のもとで宇治の茶づくりが大きく発展し、名高い七つの茶園「宇治七茗園」が知られるようになりました。「宇治茶」という言葉が初めて登場する記録は1374年の文献とされます。その後、織田信長、豊臣秀吉、茶の湯を大成した千利休らが宇治茶を重んじ、最高級茶としての地位を確かなものにしました。
覆下栽培:抹茶の緑とうま味の秘密
宇治が最高級茶の産地になった決め手は、戦国時代に確立した覆下栽培です。茶摘みの前の2〜3週間、よしずやわら、黒い寒冷紗などで茶園を覆い、日光をさえぎる方法です。 日光を減らすと、苦みや渋みのもとになるカテキンが作られにくくなり、うま味や甘みのもとになるテアニンが増えます。葉緑素も増えて葉が濃い緑色になります。こうして育てた葉を蒸し、揉まずにそのまま乾かしたものが碾茶で、碾茶を石臼で細かく挽いた粉が抹茶です。石臼一台で1時間に約40グラムしか挽けないほど手間がかかります。宇治を歩くと、今も黒い覆いをかけた茶畑を見かけます。
江戸時代:お茶壺道中と煎茶の誕生
江戸時代の宇治茶の格を物語るのが「お茶壺道中」です。幕府が将軍家で用いる宇治の新茶を茶壺に詰めて江戸まで運ばせた行列で、1633年から幕末の1866年まで続きました。行列は大名より格上の扱いを受けたと伝えられます。 庶民のお茶も宇治で変わりました。1738年、現在の宇治田原町湯屋谷で永谷宗円が、茶葉を蒸して揉みながら乾かす「青製煎茶製法」を確立し、色鮮やかで香りのよい煎茶が広まりました。1830年代には、覆下栽培の葉から作る高級緑茶・玉露の製法も生まれています。抹茶・煎茶・玉露という日本の緑茶の代表三つが、どれも宇治と深く結びついているわけです。
抹茶スイーツを楽しむ:平等院表参道と選び方
宇治に行ったら必ず食べたいのが抹茶スイーツです。濃厚な抹茶ソフトクリーム、抹茶ゼリーや団子、あんこを重ねた抹茶パフェ、抹茶蜜にあずきをのせたかき氷「宇治金時」などが定番です。京都駅からJR奈良線か京阪電車で宇治に着いたら、平等院へ続く表参道界隈に茶房やお茶屋が並んでいるので、歩きながら味わうのに最適です。 選ぶときに知っておきたいこともあります。「抹茶」として売られている粉の中には、碾茶を石臼で挽いた本来の抹茶ではない安価な粉末茶も多く、加工食品の原料のかなりの部分がそうした製品だという指摘もあります。深い味わいを求めるなら、抹茶の等級や産地を明記している店を選び、スイーツと一緒に点てたての抹茶を一服添えてみてください。