
輪切りのバウムクーヘン · 写真: Dai Wat / CC BY 2.0 (Wikimedia Commons)
神戸はなぜパンと洋菓子の街になったのか:1868年の開港と外国人居留地の物語
神戸の人は日本でもパンにお金をかける人たちです。1868年の開港とともに生まれた外国人居留地のパン屋から、戦争や革命を経てやって来たドイツ・ロシアの菓子職人まで、神戸にパンと洋菓子が根づいた歩みをたどります。
1868年の開港、海辺に生まれた外国人の町
神戸港は1868年1月1日(慶応3年12月7日)、欧米5か国と結んだ条約に基づいて開港しました。このとき港のすぐ後ろに、外国人が住み商売できる「外国人居留地」がつくられました。街は縦横の道路で整然と区切られ、126区画、広さは約7万8千坪(約25万8千㎡)ありました。 居留地は1899年に日本へ返還されましたが、洋風の石造りビルが並ぶ一帯は今も「旧居留地」と呼ばれ、神戸を代表する街並みとして残っています。欧米の商人や船員、その家族が暮らしていたのですから、毎日のパンや肉、牛乳が必要でした。神戸のパンと洋菓子の物語は、この居留地の食卓から始まります。
開港の翌年に開いた最初のパン屋
神戸市によると、神戸最初のベーカリーは開港翌年の1869年、旧居留地内にできたイギリス人・フランス人経営の2軒のパン屋だといわれています。当初は居留地に住む外国人のための店でしたが、外国人によるパン製造が盛んになると、日本人によるパン屋も次々と生まれました。 同じころ神戸では外国人が屠畜場や精肉店を開いて牛肉を売り始め、それとともに牛乳やパンを口にする習慣も広まったといいます。牛肉を扱う業者は次第に外国人から日本人へ移っていきましたが、パンも同じように、外国人に学んだ技術が日本人職人の手に渡り、町のパン屋文化として根づきました。神戸の人にとってパンが「輸入品」ではなく日常の食べ物になった出発点です。
戦争と革命が連れてきた菓子職人たち
洋菓子も居留地のまわりで育ちました。1882年、外国人と日本人が混住する雑居地で創業した店が神戸初の洋菓子店、1897年創業の店が神戸初の本格的な洋菓子店とされています。 20世紀に入ると、歴史の大きな出来事が職人たちを神戸へ連れてきました。第一次世界大戦中に中国・青島で日本軍の捕虜となったドイツ人菓子職人は、1919年に広島で日本初のバウムクーヘンを製造・販売し、1923年の関東大震災で横浜の店を失ったのち神戸へ移って店を再開しました。同じころロシア革命を逃れて来日した白系ロシア人たちは神戸でチョコレートや洋菓子を作り、そのうちの一社は1932年にバレンタインデーのチョコレート商品を日本で初めて発売したとしています。
数字で見る「パンの街」神戸
神戸のパン好きは統計にも表れています。神戸市によると、総務省の家計調査(2023〜2025年平均)で神戸市の二人以上の世帯のパンへの年間支出額は41,967円で、都道府県庁所在市および政令指定都市の中で1位でした。令和3年の経済センサスでも、人口当たりのパン製造小売店数が政令指定都市で1位です。 ただしこの「1位」は全国すべての市町村ではなく、県庁所在市や大都市どうしで比べた結果である点は知っておくとよいでしょう。総務省統計局の資料では、神戸市がとくに多く買う品目として食パンとともに紅茶、マーガリンが挙げられています。朝は食パンを焼いて紅茶を添える――居留地時代から続く洋風の暮らしが、今も数字に残っているわけです。
旅のヒント:パン屋めぐりと洋菓子みやげ
神戸のパンと洋菓子を楽しむなら、三宮と元町の間の旧居留地、元町商店街のまわり、そして洋館「異人館」が集まる坂の町・北野一帯を歩いてみてください。老舗のパン屋から新しい店まで、歩いて回れる範囲に集まっています。 パン屋めぐりは午前中がおすすめ。焼きたてが一番多く並ぶ時間で、人気のパンは午後には売り切れることもあります。神戸の洋菓子はバウムクーヘン、クッキー、プリン、チョコレートなど持ち帰りやすいものが多く、おみやげとしても人気です。和菓子や中華菓子も含めた「神戸スイーツ」は地域ブランドにもなっているので、港を散歩したあとカフェでケーキをひと切れ――というのも神戸らしい旅の楽しみ方です。