
白ご飯にのせたいかなごのくぎ煮 · 写真: Ro-~commonswiki / Public domain (Wikimedia Commons)
いかなごのくぎ煮:神戸・明石に春を告げる「錆びた釘」の佃煮
春になると、神戸や明石の家々からイカナゴの稚魚を醤油と砂糖で炊く甘辛い香りが漂いました。名前の由来と発祥の地、家ごとに違う味、そして近年深刻になった不漁までをまとめました。
イカナゴと新子:春先だけの小さな魚
イカナゴは細長い銀色の魚です。西日本ではその年に生まれた稚魚を「新子(シンコ)」、成長したものを「フルセ」や「カナギ」と呼びます。もともと北方系の魚なので、瀬戸内海のような温かい海では夏に砂へ潜って眠るように過ごす「夏眠」をします。 そのため瀬戸内海東部の播磨灘や大阪湾では、体長数センチの新子がとれる春先の短い期間が一年の大きな行事でした。例年は2月下旬から3月ごろに漁が解禁され、それに合わせて兵庫県内のスーパーやデパートにはイカナゴやシンコの売り場が設けられました。この新子で作るのが、いかなごのくぎ煮です。
なぜ「釘煮」?名前の由来と二つの発祥地
くぎ煮(釘煮)は文字どおり「釘の煮物」。炊き上がった新子が茶色く照りを帯びて曲がった姿が、曲がって錆びた釘のように見えることから、この名で呼ばれるようになりました。神戸が発祥の地ともいわれ、もとは漁業関係者の家庭で作られていた料理だそうです。 いつから作られていたかははっきりしません。ただ神戸市長田区の駒ヶ林では1000年以上前からイカナゴ漁が行われており、1935年刊行の『滋味風土記』にはすでにくぎ煮が登場します。著者は注文先として駒ヶ林の漁業組合と明石の垂水魚市場(現在の神戸市垂水区)を挙げており、この二か所が発祥地と考えられています。2013年10月には駒ヶ林の神社の前に「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑が建てられました。
家ごとに違う味、町に漂う春の香り
くぎ煮は、浜揚げされたばかりの新子を醤油、砂糖、みりん、しょうがなどで炊き上げて作ります。新子が出回る3月になると、神戸や明石の家々で大鍋いっぱいにくぎ煮を炊き、町に甘辛い香りが漂うと春が来たと感じたといいます。ゆずや唐辛子を入れるなど家ごとに秘伝があり、自治会や婦人会がくぎ煮コンクールを開くこともあります。 もとは漁師向けの濃い味付けでしたが、明石市の漁協の女性たちが一般家庭向けにレシピを改良し、料理講習会を開いて広めました。そのおかげで1980年代以降、全国に知られるようになりました。炊いたくぎ煮を遠方の家族や知人に送る家も多く、明石の郵便局ではレターパックに収まる容器を売っているという話もあります。
消えゆく新子:続く不漁
ところが近年、この春の風景が危機を迎えています。兵庫県によると、県内のイカナゴ漁獲量は2002年ごろまで1万5千〜3万トン程度、その後は1万トン前後で推移していましたが、2017年以降は2千トンを下回っています。県の水産技術センターは、海中の窒素が減って餌となるプランクトンが不足し、イカナゴが痩せて産卵数が減っているとみています。 2026年、大阪湾は3年連続の自主休漁となりました。播磨灘は3月17日に解禁したものの翌18日に終漁し、初日の明石・林崎漁港の水揚げは14籠にとどまりました。初競りの値は1籠約13万円で、2025年には20万666円という過去最高値がついたこともあります。
旅行者はどこで、どう味わう?
今では家で炊くより、できあがったものを買う人も多くなりました。神戸や明石のデパ地下、明石駅南の市場通り「魚の棚」一帯、駅や空港の土産店で瓶やパック入りのくぎ煮が見つかります。ただ不漁続きで値段はかなり上がり、新子の代わりにちりめんじゃこで作った「ちりめんくぎ煮」のような代替品も出ています。 食べ方は簡単。温かい白ご飯に少しのせたり、おにぎりの具にしたり、酒の肴にしてもよく合います。甘辛くて少量でもご飯一杯がすぐなくなります。春に神戸や明石を旅するなら、その年のくぎ煮が出ているか店で尋ねてみてください。貴重な年ほど「今年の新子」の表示がうれしく感じられるはずです。