
長崎市で作られたカステラ · 写真: katorisi / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)
長崎カステラ:ポルトガルの南蛮菓子が400年かけて日本の味になるまで
長崎みやげの代名詞カステラは、16世紀にポルトガルの商人や宣教師が伝えた南蛮菓子から始まりました。「カステラ」という名前の由来、江戸時代の人がわさびと一緒に食べたという記録、底のザラメまで、知って食べるともっとおいしい話をまとめました。
南蛮貿易とともに来た菓子
16世紀半ば以降、ポルトガルの商人やカトリックの宣教師が九州にやってくると、日本は彼らを「南蛮人」と呼び、ヨーロッパの品物や食べ物を受け入れました。このとき伝わった菓子を「南蛮菓子」といい、カステラはその代表です。長崎は1570年代にポルトガル貿易の港として開かれ、この交流の中心になりました。 カステラがいつ日本に初めて伝わったのか、はっきりした記録は残っていません。ただ1600年ごろの南蛮料理書に「かすてほうろ」という名で作り方が載っており、1626年には京都の二条城でもてなしに使われた記録があることから、遅くとも17世紀初めには日本で作られていたと考えられます。
「カステラ」という名前の謎
名前の由来として最も広く知られているのは、スペインの古い王国カスティーリャ(Castilla)説です。ポルトガル語で「カスティーリャ王国の菓子」を意味する「ボーロ・デ・カステーラ(Bolo de Castela)」が縮まって「カステラ」になったというもの。原型としてはポルトガルの「パン・デ・ロー(pão de ló)」やスペインの「ビスコチョ(bizcocho)」といったスポンジケーキが挙げられ、パン・デ・ローは16世紀半ばの料理書にすでに登場します。 ほかの説もあります。1704年刊行の長崎の書物は「カストルボル」という言葉がなまったものと記しており、メレンゲを泡立てるときに叫んだスペイン語から来たという説もありますが、根拠は弱いとされます。結局どの説が正しいかは確かではなく、資料によって説明が異なります。
江戸の人はカステラをわさびで食べた?
最初のカステラは、今のようなしっとり甘いケーキではありませんでした。卵・小麦粉・砂糖を同量ずつ使い、それほど甘くなく、あまり膨らまなかったといいます。17世紀には名古屋や京都でも記録が見られ、江戸時代中期には江戸城でも出されるほどの高級菓子になりました。 面白いのは当時の食べ方です。記録によれば、冬は汁に入れて、夏は冷水とともに食べ、わさびや大根おろしを添えて酒の肴のように食べることもあり、旅の携行食としても使われました。また栄養が豊富なことから、結核のように体が衰える病気の人に食べさせる滋養食とも考えられていました。デザートというより、貴重な栄養食品に近かったわけです。
水あめとザラメ、今の味になるまで
今のようにしっとり甘いカステラになったのは明治時代以降です。水あめが広く使われるようになって生地がしっとりし、はちみつや白ザラメも加わって以前よりずっと甘くなりました。ガスオーブンなどの設備の普及で品質も安定しました。戦時中の1939〜1941年には物価統制で配合の基準が定められたこともあります。 長崎カステラといえば多くの人が思い浮かべるのが、底にあるザラメの粒です。底にザラメが残ってシャリッとした食感があることを長崎カステラの特徴として打ち出す店が多く、時間がたつとザラメが少しずつ溶けて生地になじみ、よりしっとりすると説明する店もあります。底の紙をはがすときは、ザラメが落ちないようゆっくりはがしてみてください。
おみやげの選び方と、どこで買うか
長崎がカステラの本場になったのは、江戸時代の鎖国下でも海外貿易が続いた唯一の窓口だった歴史と、気候などが合わさった結果だと説明されます。長崎以外で作られた商品まで「長崎カステラ」として売られることが増えたため、2006年には長崎県菓子工業組合が地域団体商標を取得しました。 長崎市内には老舗のカステラ店がいくつもあり、店ごとにしっとり感や甘さ、ザラメの量が少しずつ違います。一本まるごと買うなら、包丁を温めてから切ると断面がきれいになるというコツもあります。市中心部の商店街や長崎駅周辺のみやげ売り場で手軽に買え、あらかじめ切って個包装したものは配るおみやげに便利です。