豊後牛:100年以上磨かれてきた大分の和牛と、由布院と牛の話
由布院の旅館や飲食店でよく出会う牛肉が、大分の和牛ブランド「豊後牛」です。明治から続く改良の歴史、ブランドの基準、そして牛を食べて叫ぶ由布院ならではの催しまでまとめました。
由布院の食卓の主役・豊後牛
豊後牛は大分県の和牛ブランドです。「豊後」は大分県一帯の旧国名・豊後国に由来します。品種は日本の和牛を代表する黒毛和種で、神戸や松阪ほど全国的に知られてはいなくても、九州では指折りの牛肉ブランドとして知られています。 由布院は由布岳のふもとの盆地にある温泉地で、旅館の夕食や町の飲食店のメニューで豊後牛を打ち出した料理をよく見かけます。ステーキ、しゃぶしゃぶ、すき焼きといった定番料理から、丼、コロッケ、串焼きのような食べ歩き向きの軽食まで、形もさまざまです。 ここでは、豊後牛がどのように今のブランドになったのか、名前につく基準は何か、そして由布院という町が牛とどんな縁を結んできたのかを順に見ていきます。
明治から大正へ、改良の始まり
豊後牛の品質改良は、1906年に大分県の農業試験機関の畜産部門が開場したことで本格的に始まったとされます。 1915年には、のちに「牛の神様」と称された前田辰雄が県の畜産主任技師に着任し、改良に力を注ぎました。その成果が表れたのが1921年です。この年の全国畜産博覧会で県産種雄牛「千代山号」が最優秀賞の一等一席を受賞し、東京・銀座でパレードを行ったと伝えられています。 その後、昭和40年代からは九重山系の飯田高原などで牧草地が開発され、飼養頭数が増えていきました。広い草原ときれいな水が、大分の牛の土台となったのです。
名牛「糸福」と2002年の内閣総理大臣賞
豊後牛の歴史に欠かせないのが、1983年に生まれた種雄牛「糸福」です。糸福の産子は約4万頭にのぼるとされ、今日の豊後牛の血統の大きな柱となりました。 和牛の世界には、5年に一度開かれ「和牛のオリンピック」と呼ばれる全国和牛能力共進会(全共)があります。大分県は1992年に第6回大会を開催し、2002年の第8回大会では、糸福の血を引く「寿恵福」が肉牛の部で最高賞の内閣総理大臣賞を受賞しました。この受賞で豊後牛の名は全国に広く知られるようになりました。 一頭の種雄牛が何万頭もの子孫を残す和牛の世界では、こうした名牛の血統を守り継ぐことが、そのままブランドの品質を守ることになります。
名前の基準:「おおいた豊後牛」と等級
豊後牛という名前は2007年10月に地域団体商標として登録されました。2013年にはいくつかの名前に分かれていたブランドを「おおいた豊後牛」に統一することが決まりました。 「おおいた豊後牛」と名乗るにはいくつかの条件があります。黒毛和種であること、大分県内で最も長く肥育されていること、生後36か月未満であること、肉質等級が2等級以上であることです。そのうち肉質4等級以上のものは上位ランクとして区別されます。 この上位ランクの名前は当初「極」とされましたが、既存の商標登録があることがわかり、2013年9月に「頂」へ改められました。メニューで「頂」の表示を見たら、上位ランクのことだと思えばよいでしょう。
牛を食べて叫ぶ町・由布院
由布院と牛の縁を物語る催しが「由布院牛喰い絶叫大会」です。1975年、大分中部地震の風評被害で観光客が減ると、由布院の住民は観光辻馬車やゆふいん音楽祭を始め、さらに住民の実行委員会がこの大会や湯布院映画祭をスタートさせ、町の名を全国に広めました。 大会の根っこには、都会の人に子牛のオーナーになってもらい、衰退していく畜産を振興し原野を守ろうという目的があります。毎年秋に牧場に集まり、由布院で育った牛を食べたあと思いの丈を叫ぶ催しで、2026年10月には52回目の大会が開かれたと報じられました。 旅のコツとしては、高級な豊後牛は旅館の夕食や予約制の店でゆっくり味わい、昼は湯の坪街道かいわいで牛肉コロッケや串焼きを気軽に楽しむ組み合わせがおすすめです。