
きな粉をまぶした大分のやせうま · 写真: Nissy-KITAQ / CC BY-SA 3.0 (Wikimedia Commons)
やせうま:由布市挾間に伝わる「八瀬、うま」伝説ときな粉のおやつ
平たく延ばした小麦粉の生地をゆでて、きな粉と砂糖をまぶした大分の郷土菓子・やせうま。「痩せた馬」という不思議な名前は、由布院と同じ由布市の挾間に伝わる平安時代の伝説に由来するといわれます。
やせうまとはどんなおやつ?
やせうまは大分県の郷土のおやつです。小麦粉の生地を包丁で切らずに手で長く平たく延ばしてゆで、きな粉と砂糖を混ぜた粉をたっぷりまぶして食べます。もちもちの生地と香ばしく甘いきな粉の組み合わせは韓国のインジョルミを思わせますが、米のもちではなく小麦粉の麺である点が違います。 面白いのは、大分の味噌仕立ての料理・だんご汁と同じ生地を使うことです。同じ平たい生地を野菜と一緒に味噌汁に入れれば食事のだんご汁に、ゆでてきな粉をまぶせばおやつのやせうまになります。米が貴重で麦がよく取れた大分の暮らしがそのまま表れた食べ物です。 地域によっては、はったい粉を使ったり、あんこを添えたり、黒砂糖を混ぜたりと、さまざまなアレンジもあります。
挾間に伝わる「八瀬、うま」伝説
やせうまの名前の由来として最も広く知られているのが、旧挾間町、現在の由布市に伝わる伝説です。平安時代、都から藤原鶴清麿という幼い貴族が豊後国に下り、挾間のある村に隠れ住んだといいます。 身の回りの世話をしていた女性は京都の八瀬の出身だったため「八瀬」と呼ばれていました。信仰心の厚い八瀬は鶴清麿と一緒に村の寺の地蔵菩薩をお参りしていましたが、鶴清麿がお腹をすかせると、小麦粉をこねて細く延ばし、ゆでてきな粉をまぶして食べさせました。 鶴清麿はこれが食べたくなると「八瀬、うま、八瀬、うまくれ」とせがんだそうです。ここでいう「うま」は馬ではなく、「まんま」のように食べ物を指す幼児語だと説明されます。
ほかの由来説:馬形の菓子、痩せた馬
挾間の伝説のほかにも、名前の由来にはいくつかの説があります。一つは、もともと米粉で馬の形を作った菓子があり、それが変化して今のやせうまになったという説。もう一つは、馬に食べさせる麦を人が食べてしまったので馬が痩せてしまった、だから「痩せ馬」という名がついたという民話です。 どの説が正しいかは資料によって異なり、確かな記録が残っているわけではありません。 面白いことに、日本の方言辞典を見ると、福島、新潟、長野、静岡、兵庫、千葉など他の地域にも似た名前の食べ物が記録されています。ただしその多くは米粉の菓子やだんごで、仏事や季節の行事に供えるものだそうです。
いつ食べる?お盆とお寺の行事
やせうまは普段のおやつとしても食べられますが、もともとは仏事や季節の行事と深く結びついた食べ物でした。大分では、お釈迦様の入滅を偲ぶ涅槃会、お盆、七夕などにやせうまを供える風習が広く残っています。 とくに弘法大師(空海)にちなむ3月21日には塩味のやせうまを、お盆の8月14日には黒砂糖を混ぜたきな粉をまぶしたやせうまを供えることが多いとされます。 伝説の舞台・挾間のお寺では、お盆の時期の8月23日、先祖や無縁仏を供養する御施餓鬼会にあわせてやせうまを作る習慣が今も続いているそうです。境内には「やせうま発祥の地」の由来を記した看板も立っています。
どこで買い、どう楽しむ?
やせうまは大分ではごく身近な食べ物で、家庭で作るのはもちろん、店やスーパーでも売られ、学校給食に出ることもあります。 一つ知っておきたいのは、大分には「やせうま」の名を使った別のお菓子の商品もあることです。これは郷土料理のやせうまから名前をとった銘菓で、きな粉をまぶした平たい小麦粉の生地という本来のやせうまとは形も味も違います。郷土のおやつそのものを味わいたいなら、パッケージの説明や写真を確かめてみてください。 温かい緑茶によく合い、夏は冷やして食べてももちもち感が残ります。由布院でだんご汁を食事にしてからデザートに添えれば、同じ生地の二つの顔を比べられます。