歴史
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函館の塩ラーメン · 写真: くろふね / CC BY 4.0 (Wikimedia Commons)

函館の塩ラーメン · 写真: くろふね / CC BY 4.0 (Wikimedia Commons)

日本函館

函館塩ラーメン:底が透けて見える澄んだスープ、港町が守ってきた一杯

札幌が味噌なら函館は塩。麺が透けて見えるほど澄んだ函館塩ラーメンはなぜ塩味になったのか、明治の「南京そば」の広告から「函館ラーメン」という名前が付くまでの話と食べ方をまとめました。

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北海道ラーメン地図で「塩」を担う街

北海道のラーメンはよく街ごとに分けられます。札幌は味噌、旭川は醤油、そして函館は塩です。函館塩ラーメンの最大の特徴は透明なスープ。豚骨を中心にした出汁を沸騰させないよう弱火でじっくり炊き、塩ダレを合わせて、器の底や麺が透けて見えるほど澄んだスープに仕上げます。 麺は柔らかめの中太ストレート麺で、具はチャーシュー、メンマ、長ネギ、ホウレン草に、麩かナルトをのせるのが一般的です。濃厚なスープに慣れていると最初は薄く感じるかもしれませんが、飲むほどに出汁のうま味がはっきりしてくる一杯です。

1884年の「南京そば」の広告

函館は1859年、横浜・長崎とともに外国との貿易に開かれた港町です。港には外国人とともに中国系の商人も定着しました。1884年、函館の華僑が営む洋食店の広告には「南京そば」が1杯15銭で載っています。 この広告は日本のラーメン史でよく取り上げられますが、現在の函館ラーメンとの直接のつながりを示す資料は見つかっていません。そのため「函館が日本のラーメン発祥の地」という話は一つの説として受け止めるのがよいでしょう。その後、明治から大正にかけて中華料理店を通じてラーメン文化が広がり、1932年には市内の喫茶店のメニューに「ラーメン(支那そば)1杯15銭」が載っていたといいます。

なぜ塩なのか

函館ラーメンがなぜ塩味になったのか、はっきりした結論はありません。よく言われるのは、港町函館に華南出身の華僑が多かったことから、広東系の澄んだ塩味の湯麺がルーツになったという推測です。澄んだスープにストレート麺を合わせる姿がその名残だという見方です。 一方で「函館=塩」というイメージが定着したのには、比較的新しい出来事も影響したと考えられています。1996年に大手食品会社のカップ麺シリーズに「函館しお味」が加わり、2002年には観光振興とブランド化を目的に第1回「函館塩ラーメンサミット」が開かれました。古い味のルーツと新しいPRが合わさって、今の函館塩ラーメンができたといえます。

「函館ラーメン」という名前が生まれた日

長く食べられてきた料理ですが、「函館ラーメン」という名前は意外に新しいものです。1971年、あるラーメン店が函館空港に出店する際、観光客が覚えやすいように「函館ラーメン」と名付けたのが始まりとされています。飛行機で行き来する旅行者が増えた時代、空港が地元の味を広める窓口になったのです。 その間に街も変わりました。戦後はいくつもの製麺所が開業してラーメンの麺を支え、函館駅前の大門地区は繁華街としてにぎわいました。しかし1988年に青函トンネルが開通し、本州と函館を結んでいた連絡船が廃止されると、大門地区の繁華街としての役割も終わりを迎えます。今の函館ラーメンは、そうした変化の中でも受け継がれてきた街の味です。

食べ方とどこで食べるか

函館塩ラーメンはまずスープから味わうのがおすすめです。コショウを振ったり具を混ぜたりする前に、ひとさじすくって澄んだスープの味を確かめてから麺に進みましょう。麺は柔らかめですぐにのびてしまうので、出てきたらすぐに食べるのがいちばんです。量が控えめな店もあり、海鮮丼などと組み合わせて「函館食べ歩き」に入れやすいのも魅力です。 ラーメン店は函館駅周辺と朝市一帯、古い街並みが残る元町・ベイエリア、五稜郭周辺に広く点在しています。寒い夜に夜景を見て山を下り、温かい一杯で締めるのも函館らしい旅の楽しみ方。函館空港にもラーメン店があるので、帰る前の最後の一杯にもぴったりです。

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